管理会社の鍵

立石原倫央は、賃貸住宅の苦情電話が鳴ると、烏丸野紗千へ押しつけた。

「昼間暇なんだから、大家との話くらいしろ。俺は家賃を払ってる側だ。誰のおかげで飯が食えてる」

水漏れ、騒音、更新書類。紗千は一つずつ対応し、管理会社より早く解決した。隣の老夫婦から空室管理を頼まれたのをきっかけに、宅地建物取引士と賃貸管理の資格を取った。

倫央は参考書を「主婦の資格コレクション」と呼んだ。

紗千は空き家の換気、修繕、入居者募集を始めた。遠方の所有者から評判が広がり、管理戸数は五百室を超える。小さな会社を設立し、夜間対応を外部化して、自分と社員が休める仕組みも作った。

倫央の勤務する建設会社が、完成した賃貸マンションの管理会社を選ぶ日。最終候補として紗千が現れた。

「烏丸野プロパティへ、全八棟六百四十戸を委託します」

契約額は年間一億五千万円。入居率、修繕速度、離職率の低さ、すべて他社を上回っていた。

倫央は役員へ囁いた。

「妻です。自宅の管理さえ僕任せの人ですよ」

紗千は、現在住む部屋の記録を開いた。家賃を払っていたのは夫婦口座だが、紗千が在宅業務で得た収入も毎月同額入っていた。修理連絡、更新、保険、自治会対応はすべて彼女が行っている。

さらに倫央は、建設会社の物件情報を競合管理会社へ漏らし、接待を受けていたことが発覚した。選定委員から外され、社内調査が始まる。

その夕方、紗千は自分の会社が管理する新築物件の一室で、倫央へ離婚届を差し出した。

「俺がいなければ入居審査も通らないだろ」

紗千は契約書を見せた。部屋は会社の役員社宅として正式に借り、自分の収入だけで審査済み。倫央が住む現在の部屋には、契約者変更の期限通知が届いていた。

「鍵と契約は、持っている人ではなく、責任を果たす人のものよ」

六百四十戸のマスターキーが紗千へ引き渡され、離婚届の提出日が確定した瞬間、倫央が電話係と見下した妻は町の住まいを守る会社の代表となり、彼だけが自分の部屋の更新を一人で考えることになった。