置き配の手
配達員は、毎週同じ家へ生活用品を運んだ。
受取人は扉を十センチしか開けず、荷物を足元へ置くよう頼む。
署名も会話もなく、礼の声だけが暗い玄関から聞こえた。
ある日、雨で箱が濡れた。
配達員が手渡そうとし、受取人も扉の隙間から手を伸ばした。
二人の指が箱へ同時に触れ、体が入れ替わった。
箱を開けるまで戻れない。
受取人の体になった配達員は、玄関の外へ出ようとして動けなくなった。
足ではない。
胸が締まり、息が吸えない。
廊下に人の声がするだけで、体が危険だと叫んでいる。
受取人は怠けて外出しないのではなく、扉の向こうへ一歩出るため、毎回この恐怖と闘っていた。
配達員の体になった受取人は、荷台へ戻った。
端末には残り四十二件。
階段だけの建物。
時間指定。
不在通知。
雨の重さ。
配達員が急いで箱を置くのは冷たいからではなく、一件へ立ち止まれば次の誰かの生活用品が遅れるからだった。
二人は入れ替わった姿で午後を過ごした。
配達員は家の中から、扉の前に荷物が届く音を初めて「外との細い接点」として聞いた。
受取人は荷物を渡すたび、誰かの暮らしを一箱ずつ運んでいる重みを知った。
夕方、二人は元の家で箱を挟んだ。
中身は、玄関用の小さな椅子だった。
受取人が外へ出る練習をするとき、休むために注文した物だという。
「開けますか」
配達員が尋ねた。
「開けたら戻る」
「戻りたいですか」
二人とも少し迷った。
受取人は配達員の疲れた肩を返したかった。
配達員も、他人の恐怖を長く持つべきではないと思った。
一緒に箱を開け、元へ戻った。
翌週から、配達員はその家だけ特別に長居しなかった。
代わりに呼び鈴を一度押し、
「置きます」
と必ず声をかけた。
受取人も、返事ができる日は扉を十五センチ開けた。
数か月後、玄関の椅子は建物の外へ移った。
受取人はそこまで出られるようになった。
配達員が荷物を渡すと、
「今日はここで受け取ります」
と言った。
相手の一日を体験しても、すべては分からない。
ただ十センチの扉が、その人にとってどれほど遠いかを、もう想像で怠慢とは呼ばなくなった。