花を装備する夜

千種イツハは鐘楼から落ちる少女エルノの手を掴んだ。

《日次リセット》

NPCの記憶と所持品は午前零時に初期化されます。

装備中の一品だけは保持されます。

零時まで残り三分。エルノは毎晩、魔物から鐘を守り、零時になると昼間の記憶を失う。イツハは彼女へ白い造花を渡し、首飾りとして装備させていた。

《白紙花》

説明文を一行だけ書き換えられます。

一日目には《俺の名はイツハ》

二日目には、エルノ自身が《昨日の私は鐘を守った》

百日目の今、説明欄は細かな文字で埋まり、花弁の裏まで彼女の日記になっている。

魔物の爪がエルノの肩を裂く。イツハは引き上げ、鐘楼の中へ転がった。

「花を外せば、防御の首飾りを装備できる」

「外したら、私は今夜までの私を失います」

残り一分。魔物の王が扉を破る。エルノは花を握りしめたまま立つ。

「記憶がなければ、自我もないのか」とイツハは問う。

「分かりません。でも、明日の私へ選択を残したい」

彼女は花の最後の空白へ文字を書く。

《忘れても、鐘を守るかは自分で決めて》

零時。

光が走り、エルノの傷も服も初期状態へ戻る。目から百日分の親しさが消えた。彼女は首の花を読み、長い沈黙のあと鐘から離れる。

「今日は守りません」

魔物の王も戸惑って止まる。鐘を守ることは彼女の設定で、記憶とは無関係の命令だった。それを読んだうえで拒んだ。

エルノは花を外した。イツハは息を呑む。

「もう必要ありません。昨日の私が、今日の私へ選ぶ権利を残してくれたから」

花が消えても、彼女は鐘へ戻らなかった。

《日次リセット完了》

《装備保持アイテム:なし》

翌日のエルノは、イツハの名も百日分の出来事も知らない。それでも鐘のそばに立つと、理由のない息苦しさを覚え、自分から離れた。

イツハは名乗り直す。

「初めまして」

「はい。昨日の私が信じた人なら、今日の私が信じるかは、これから決めます」

その距離が、彼には救いだった。

《それでも継続した選択を確認――記憶を運んだのは花ではなく、過去の自分を他者として尊重する意思です》