蒸気の向こうの手術室
午前一時、総合病院の滅菌室で高圧蒸気滅菌器が停止した。翌朝最初の手術に使う器具が、まだ金属籠の中にある。薄井理緒が到着すると、担当看護師は扉のガスケットを交換してほしいと言った。
「真空試験で圧が戻ります。扉から漏れているはずです」
理緒はガスケットへ薄い検査紙を挟み、扉を閉めた。四周とも同じ跡が付き、密着している。ところが真空試験の記録を見ると、圧力は滑らかに戻らず、十秒おきに階段状に上がっていた。
彼女は耳を澄ませた。十秒おきに、機械下部から小さな水音がする。蒸気を排出するドレン弁が、完全に閉じずに脈打っていた。
看護師は運転を繰り返せば一回くらい通るのではと言った。理緒は首を振った。真空が不十分なら、器具の細い管に空気が残り、温度表示だけ規定に達しても内部は滅菌できない。合格灯は、清潔そのものではない。
手術室からは二度、予定を早められないかと問い合わせが来た。理緒は終了時刻ではなく、現在どの確認をしているかを答えた。急かされた看護師も、三度目には「次は空運転ですね」と復唱した。待つ側に工程が見えれば、誰かが扉を早く開けようとする余地が減る。
機械を冷まし、圧力がゼロであることを二人で確認してから、理緒はドレン弁を外した。弁座には白い糸くずが一本挟まっていた。清掃布の端がほつれ、排水と一緒に吸い込まれたらしい。糸を取るだけでなく、傷付いた弁座を予備品へ交換した。
再試験では、圧力が規定時間まっすぐ保たれた。理緒は空のまま一回、試験器具を入れて一回、その後に手術器具を入れた。急げば一工程省けたが、最初の修理後こそ確認が要る。
理緒は試験結果を機械の画面だけでなく、紙の記録にも残した。朝勤が再開の根拠を追えるようにするためだ。
午前五時二十分、滅菌済みの籠が静かに出てきた。看護師は封印紙の色を確かめ、手術室へ運んだ。
理緒が糸くずを小袋へ入れて報告書を書き始めると、別棟から電話が鳴った。患者搬送用のリフトが二階で止まったという。蒸気が薄れる室内で、彼女は冷えた工具箱をまた持ち上げた。