試供品を断った店

立神野侑真は、黒いパーカと眼鏡で化粧品ブランドの旗艦店へ入った。

肌診断と新しい美容液の試供品を頼むと、店長の橘田芽佳は彼の顔を一瞥した。

「男性用の無料サンプル配布は終了しました。購入予定のない方はご遠慮ください」

「処方について少し聞きたいんですが」

「成分表は公開情報です。専門家のふりをされても、商品はお渡しできません」

若い美容部員だけが、侑真の頬の赤みへ気づき、刺激の少ない水と冷却材を持ってきた。侑真は彼女へ礼を言い、試供品を受け取らず帰った。

翌日、旗艦店で新美容液の世界発売発表会が開かれた。親会社社長と処方開発者が来店するため、橘田はスタッフへ最高級の接客を命じた。

壇上へ現れたのは侑真だった。

立神野家は化粧品・製薬グループの創業家。侑真は親会社の社長であり、皮膚科学を学んだ処方開発者でもある。前日は研究所で原料試験を行い、肌に軽い反応が出た状態で、店舗が安全に対応できるか確認していた。

橘田は深く頭を下げた。

「無料品目当てのお客様が増えており、ブランドを守るための判断でした」

「ブランドを守ったのは、肌の変化を見た美容部員です」

監査担当が相談記録を映す。橘田は購入額の高い客へ規定以上のサンプルを渡す一方、若者や男性の相談を一律に断り、未開封の試供品を転売業者へ流していた。

若い美容部員は、侑真の赤みから新成分への軽度反応を推測し、正しい応急対応をしていた。侑真は彼女を本社の安全教育チームへスカウトした。

橘田は「販売実績は全店一位」と主張した。

「相談を断って作った数字に、肌を任せることはできません」

親会社は店長職を解き、試供品管理の調査を開始した。

発表会では、新美容液の販売より先に、無料のアレルギー相談窓口設置が発表された。最初の責任者名に、若い美容部員が記される。

橘田の管理カードが無効になり、侑真の肌診断結果が安全データへ正式登録された瞬間、無料客と追い返した男が世界ブランドの所有者となり、彼女の売上だけが信用を失った。