返品された指輪

普通に人の名を呼べば本人の寿命が一日減るが、名前を刻んだ指輪の返品時だけは三時間で済む。店員が刻印を一度読み上げると、呼ばれた本人の寿命が三時間減り、刻印と本人の結びつきが切れてから、金属を溶かせる。読み上げを拒めば返金はない。

水窪仁志は宝飾店の返品係だった。知らない男女の名前を毎日読み、遠くの誰かから三時間ずつ削っていた。店員自身の名前が刻まれていた場合は、別の者に交代する規則がある。

雨の日、無記名の宅配便で古い指輪が届いた。購入日は五年前。申込者欄は黒く塗られている。内側の刻印をルーペで見た仁志は、手袋を外した。

水窪仁志へ 六月十七日。

その日は、比良坂鈴音と別れた日だった。彼女は何も言わず部屋を出て、翌月には連絡先を変えた。指輪を用意していたことなど知らなかった。号数は、五年前の仁志の指にまだ合う数字だった。

六月十七日の夜、仁志は残業で約束を忘れ、帰宅してからも彼女を「おい」と呼んだ。鈴音は一度だけ仁志の名を呼び、三時間ではなく通常の一日を彼から削って、鍵を置いた。

同僚へ回せば、自分の寿命だけは減らさずに済む。だが呼ばれるのは同じだ。誰の口から出ても三時間は三時間だった。

返品理由の欄には、「渡さなかったため」とだけ印字されていた。連絡希望欄には、声ではなく書面、と赤い丸がついていた。

仁志は確認マイクを入れた。

「水窪仁志」

腕の寿命計が三時間ぶん短い側へ針を振り、そこで小さく止まった。刻印の溝から細い銀粉が浮き、結びつき解除の緑ランプが点く。

その瞬間、店の電話が鳴った。番号非表示だった。仁志は受話器を取ったが、相手は何も言わない。呼吸音の向こうで、金属の小さく触れ合う音だけがした。

「返品、受け付けました」

そう告げると電話は切れた。

規則では解除済みの指輪は当日中に溶解箱へ入れる。仁志は廃棄伝票を書き、自分で買い取り欄に印をつけた。社割は使わなかった。

閉店後、黒いベルベットの上に指輪を置く。刻印は薄くなっていたが、六月十七日だけ残っている。返品箱の底には、送り主が入れたらしい腕時計の短針が三本、同じ方向を向いて並んでいた。