返済完了、二十三時五十八分
和紗の借金残高は、あと一万二千円だった。
奨学金ではない。前職を辞めた直後、生活費を補うために借りたカードローンだ。誰にも言わず、飲み会を断り、昼食を小さくして返してきた。残高が減るほど、秘密だけが重くなった。岳史と付き合う一歩手前まで来ても、金額を知られるのが怖くて距離を置いた。彼が「一緒に住めば家賃が浮く」と言うたび、それが愛情ではなく救済に聞こえた。好きだと答えれば、金銭のために選んだと思われる気がした。
今夜、最後の返済が口座から引き落とされる。和紗は二十三時からアプリを更新し続け、岳史の《終わったら連絡して》にも返せずにいた。机には返済明細を月順に並べ、最後の一枚だけを空けてある。ゼロになったら連絡すると約束したのに、ゼロになるほど、隠していた月日の説明が怖くなった。
二十三時五十五分、インターホンが鳴った。岳史がマンションの外に立っている。
「連絡がないから来た」
「頼らないって言ったでしょう」
「玄関まで来るのも駄目?」
「今は駄目」
オートロック越しの通話は三分で切れる。和紗は部屋、岳史は夜道。顔を見ずに済むのに、声だけは逃げられない。画面には残り時間が赤く点滅し、まるで秘密にも有効期限があるようだった。外では小雨が手すりを叩いていた。
「借金がある」
「うん」
「知ってたの?」
「返済日を間違えないよう、毎月カレンダーに丸をつけてたから」
「それでも同居って言ったの?」
「返すためじゃない。朝、同じコーヒーを飲みたいから」
和紗は「頼らない」ともう一度言った。言うたび、自分だけが遠くなる。
二十三時五十八分、残高がゼロに変わった。画面を見た瞬間、涙ではなく笑いが出た。
インターホンの残り時間は十秒。
「頼らないんじゃなくて、並びたかった」
通話が切れた。
和紗は返済完了の画面を保存し、岳史へ送る。続けて、オートロックの解錠ボタンを押した。玄関には一人分のスリッパしかなかったので、未使用の来客用を箱から出して、隣に置いた。