鍵穴の海

海は、鍵穴の向こうで息をしていた。

厚い扉に耳を当てると、水のうねりが低く響く。向こう側では銀色の魚影が行き交い、ときどき丸い月が青い水面を照らした。嵐の夜、私たちはこの小さな観測室に二人きりだった。

相棒は海側にいる。

耐圧ガラス越しに、彼が手を振った。潜水服の胸に白い泡が集まり、ゆっくり上へ昇っていく。通信機は先ほどから雑音ばかりで、声は聞こえない。私は手のひらをガラスにつけ、落ち着け、と口の形で伝えた。

彼は扉を指した。内側のハンドルを回しているが、動かない。

鍵は私が持っていた。

腰の輪から外し、掌の上で確かめる。真鍮ではなく、平たい磁石の板。海の施設にしては頼りない鍵だ。私は差し込み口へ近づけ、途中で手を止めた。

相棒が何かを書いた。防水板に、酸素、と二文字。

背後の計器を見る。残量は十分にあるはずだった。しかし針は赤い領域へ落ちている。十五分前にも同じ位置まで落ち、そのあと急に戻った。潮の満ち引きにしては、正確すぎる周期だった。

「装置の故障だ」

聞こえない相手に言った。

ガラスの向こうの月が消えた。雲ではない。丸い光は横へ滑り、しばらくして別の場所から戻ってきた。相棒はそれを見上げず、拳で扉を叩き続ける。

私は観測記録に時刻を書いた。二十時五十八分。嵐はさらに強くなる。救援船は朝まで来ない。そう報告すれば、事故として通るだろう。

相棒の動きが遅くなった。白い泡が細くなる。最後に彼はガラスへ指を当て、私の胸元を指した。

そこには、彼から預かった小さな鍵が下がっている。彼の部屋の金庫を開ける鍵。中には、私が研究費を抜いた記録がある。

私は目をそらした。

天井のスピーカーが鳴る。

『本日の営業は終了しました。飼育員は館内点検をお願いします』

月だと思わせた光は、水槽清掃用のランプだった。嵐も海もない。ガラスの外を昼間歩いていたのは、魚ではなく魚を見る子どもたちだ。

市立水族館の潜水展示槽で、私は酸素弁を閉じた。相棒が動かなくなるまで、開錠板をかざさなかった。