閉店後のいつもの席
「ここがなくなったら、会う理由もなくなるね」
駅裏の喫茶店が閉店すると知った日、蓮見花帆は冗談めかして言った。
風間章吾とは、毎週木曜の十九時に窓際の二人席で会っていた。最初は仕事の愚痴を聞いてもらうため。その次は章吾の引っ越し相談。相談事がなくなってからも、木曜になるとどちらかが《いつもの》とメッセージを送った。
店員には恋人だと思われていたが、二人は訂正した。
「友達です」
「いつもの席を使う友達」
花帆は章吾のコーヒーに砂糖を入れず、章吾は花帆が疲れた日にだけプリンを二つ頼んだ。店員が注文を聞く前に分かるほど、二人の木曜は生活の一部になっていた。
呼び名を変えて、もし別れれば、木曜だけでなく長い友情まで失う。だから近況も将来の話も分け合いながら、気持ちの話だけはしなかった。
最終営業日。いつもの席には《ご予約席》の札が置かれ、店主が二人分のプリンをサービスしてくれた。
「次の木曜、どうする?」
花帆が尋ねると、章吾は「まだ決めてない」と言った。
その答えに胸が冷えた。店を出たら、本当に終わるのかもしれない。
閉店時刻になり、店主が看板を裏返す。花帆がコートを着ると、章吾はテーブルの《ご予約席》を裏返した。
裏面には、手書きの店名が四つ並んでいた。
来週は川沿いの紅茶店。
再来週は夜だけ開く書店喫茶。
その次は花帆が行きたがっていた洋食屋。
四週目は章吾の部屋で、料理を作る予定。
すべて二名で予約済みだった。
「会う理由、作りすぎじゃない?」
「店のせいにしないと誘えなかったから」
章吾はスマホを差し出した。共有地図の名前は《いつもの店候補》から《花帆と章吾が行く場所》へ変わっている。
花帆は四件すべてに承諾を押し、テーブルの下で彼の手を取った。店を出ても離さない。店主が鍵を閉める音の中、章吾が初めて「花帆」と呼ぶ。
「来週も、いつもの時間でいい?」
「木曜だけじゃ足りないかも」
花帆は土曜にも一件、朝市の予定を追加した。
ここがなくなれば会う理由もなくなるはずだった。
最後に閉じた扉は、二人を別れさせず、理由のいらない場所へ送り出した。