雨季の銅鐘
雨が王都の屋根を叩き潰すように降っていた。
河門守ソン・ラッタナは、銅鐘の下で木槌を握った。鐘肌には九つの波が彫られている。初代王が大河を治めた印だという。今夜、その河は城壁より高く膨らんでいた。
国王パーサクの使者が命令を読んだ。
「一更に鐘を二度。上流の堤を切らせよ。敵船も、南岸の集落も濁流で流す」
「南岸には五千人おります」
「だから敵も、そこへ船を寄せている」
「避難の刻は」
「ない。知らせれば敵も逃げる」
使者は油紙の命令書を畳んだ。王印は本物だった。
ラッタナは鐘を見上げた。鐘の音は王都の水軍へ命令を伝える。一度なら河鎖を上げる。二度なら堤を切る。三度なら河鎖を下ろし、外船を通す。
敵の水軍とは、昼に一度だけ話した。雨幕の向こうで小舟を寄せ、条件を交わした。三度鳴らせば南岸を救助する。代わりに王都への水路を開けろ、と。
「王はあなたを信じている」と使者が言った。
「二十年、鐘を間違えなかったからでしょう」
「なら今夜も間違えるな」
雷が遠くで鳴った。
一更まで百呼吸。鐘楼の下では、王兵が堤切りの道具を積んで待っている。南岸にはラッタナの家族はいない。妻は病で死に、息子は王軍にいる。救う相手が他人ばかりなら、裏切りはかえって難しい。自分のためだと嘘をつけないからだ。
使者が木槌へ手を伸ばした。
「私が打とうか」
「鐘は、河門守しか打てません」
「規則か」
「迷信です。こういう夜には役に立つ」
ラッタナは木槌を振り上げた。
第一打。低い音が雨を押し返す。
王兵が道具を担ぐ。
第二打。堤切りの隊長が手を上げる。
使者が満足げに頷いた。
その瞬間、真上で雷が裂けた。白い光が鐘楼を照らし、全員が首をすくめる。
ラッタナは雷鳴の腹へ、第三打を重ねた。
使者には聞こえなかった。だが川面で待つ水夫は、鐘の振動を船底で感じる。音ではなく、銅が大気を押した回数を数えている。
「二度、確かに」と使者は言った。
「確かに」
ラッタナは木槌を置いた。
下流の闇で敵船の覆い灯が一斉に開く。河門の歯車が回り、王都を守る鉄鎖が濁流の中へ沈み始めた。