雨戸の本名

御子柴誠士の実家では、雨の日だけ家族を下の名前で呼ぶ。二十四歳の誠士は、単なる方言だと思っていた。祖父の葬儀で帰省すると、玄関の雨戸に古い紙が貼られていた。

《雨の日、玄関で家族のフルネームを呼んではいけない》

祖母は、雨が名字と名前を揃えて聞くと、その人を家の外側へ連れ出すと言った。昔の失踪届には、嵐の夜に玄関で名を呼ばれた御子柴家の者が何人も記録されている。

祖父の録音テープには、雨戸の外から家族の名を呼ぶ声が残っていた。呼ばれた本人の声なのに、必ず現在より一日古い。最後の一本では、祖父が自分を呼び、翌日の録音には家の中の誰も祖父を知らない会話が入っていた。

葬儀の翌日も豪雨だった。宅配便が届いたが、耳の遠い父は二階から降りてこない。配達員が急いでおり、誠士は玄関から階段へ向かって声を張った。

「御子柴正之、荷物!」

禁忌を破ったのは、その一度だけだった。玄関の人感センサーは誠士を《退出者》、二階の父を《未登録の残留者》と判定した。

返事は二階ではなく、閉じた雨戸の外から聞こえた。

『御子柴正之、受け取りました』

父は直後に階段を下りてきた。だが配達員の端末では、荷物はすでに「本人へ手渡し済み」。受領印は濡れた指で押したように滲み、父の名前が左右反転していた。

その夜、父のスマートフォンから連絡先がすべて消えた。母も祖母も父を知らない人のように扱い、写真では父のいた場所だけ雨粒が写っている。誠士だけは父を見聞きできた。

東京へ戻った三日後、マンションのインターホンが鳴った。カメラには誰もいない。表示欄に《御子柴誠士様 お迎え》とある。

開けずにいると、宅配アプリへ配達完了通知が来た。

《ご本人へ手渡しました》

証拠写真には、実家の雨戸の外に立つ誠士が写っていた。現在の誠士は自室で、その写真を見ている。

父から最後のメッセージが届いた。

《外は広いぞ。次はお前の名前を呼ぶ》

直後、玄関の向こうで父の声が、誠士のフルネームを一度だけ呼んだ。