雨染みは前からあった
千田木尋也は、児童図書館で本の修理を担当している。
梅雨の午後、小学生の少女が一冊の絵本を抱えてカウンターへ来た。
表紙の端が濡れ、頁が波打っている。
「傘から落としました」
少女は泣くのを我慢するように唇を結んでいた。
尋也は貸出記録を見た。
絵本は人気があり、先週まで状態はよかった。
それでも表紙を確かめ、
「この雨染み、前からあったよ」
と言った。
「本当?」
「古い本だからね」
優しい嘘のつもりだった。
少女は安心せず、尋也の顔を見た。
「私、借りる前に全部見た。なかった」
よく本を見ている子だった。
尋也は観念した。
「では、二人だけの修理案件にしよう」
閉館後、保護者へ連絡し、少女と一緒に本を直した。
濡れた頁の間へ吸い取り紙を挟み、重しを載せる。
表紙の剥がれへ薄い糊を塗り、透明な保護フィルムを貼る。
「新品みたいになりますか」
「完全には戻らない」
「怒られますか」
「本は怒らない。次に読めれば十分」
少女は小さな布で表紙を何度も撫でた。
絵本は、雨の日に動物たちが一つの木へ集まる話だった。
「この本、雨に出たかったのかも」
尋也が言う。
「また嘘」
「今度は物語」
「じゃあ、秘密にする」
一週間後、頁の波は少し残ったが、読めるようになった。
少女は最初の読者として、修理室で一冊を読み通した。
最後の頁を閉じ、
「雨の匂い、まだする」
と言った。
尋也にも、紙と糊の中へ湿った土の香りがわずかに残っている気がした。
貸出棚へ戻す前、二人で見返しへ小さな印を押した。
傘の形の青い印。
ほかの人には修理記号に見えるが、二人には秘密の目印だった。
次の雨の日、少女は別の本を借りに来た。
今度は大きなビニール袋を持っている。
「前からあった染み、増やさないように」
「前からあったんだっけ」
「そういうことにしたでしょう」
二人は小さく笑った。
修理室には乾いた紙、澱粉糊、窓から入る雨の匂いが混じった。
嘘は本を元に戻さなかった。
けれど失敗を一人で抱えさせず、同じ頁を二人で乾かす時間へ変えてくれた。