魔神宛ての宿泊代
「お支払いは出発の朝で結構です」
交易都市の安宿〈銅貨亭〉で、主人ネヴァンは勘定に細かくなかった。貧しい旅人には食事を多めにし、破れた靴なら代金の代わりに薪割りを頼む。豪商からはきっちり取るので、宿は不思議と潰れない。帳場の古い算盤は一度も珠が合わなかったことがなく、税吏が調べても最後には首をかしげて帰った。
孤児のジオは、一晩だけ泊めてほしいと錆びた銅貨を差し出した。ネヴァンは受け取らず、先にスープを出した。ジオは翌朝までに皿洗いで返すと言い張ったが、主人は空腹の子供と勘定の話はしないと笑った。
夜半、その銅貨が黒く輝いた。中に封じられていた金喰魔神が現れ、宿中の金属を引き寄せる。釘が壁から抜け、客の財布が宙を飛び、街の金庫まで悲鳴を上げた。魔神はジオを器にして完全復活しようと笑う。少年の胸には黄金のひびが走り、差し出した銅貨一枚のために命まで取り立てられようとしていた。
ネヴァンは帳場から請求書を一枚持ってきた。
「ずいぶん派手に壊しましたね」
羽根ペンで三行書く。
宿泊代一泊。器物損壊。世界再建費。
金喰魔神の笑いが止まった。請求額の欄に「所有するすべて」と記された途端、魔神の黄金鎧、呪い、千年分の魔力が紙へ吸い取られていく。最後には錆びた銅貨一枚だけが床へ落ちた。請求書の最下段には「少年の命、一件――返却済み」と追記され、胸の黄金のひびも消えた。
ジオには、署名欄の下に浮かぶ紋章が見えた。国家間の借財すら魔法契約で消した大魔法使い〈無限勘定〉の印だ。
「おじさん、いま何を……」
「未払いを片づけただけだよ」
ネヴァンは飛び散った釘を指で鳴らして壁へ戻し、財布を各客の枕元へ送った。焦げた請求書は暖炉へ入れ、魔神の魔力が残った灰で鍋底を磨く。騒ぎの間も、客は夢の中で財布を抱き直しただけだった。
朝、ジオが銅貨を置こうとすると、それは純金に変わっていた。ネヴァンは受け取らず、少年の旅費袋へ押し戻す。
それから空になった皿を下げ、昨日と同じのんびりした声で言った。
「お支払いは出発の朝で結構です」