鹿角薬師の最後の毒

森の砦に囚われた鹿獣人イリヤは、左手の呪印で毒を調合させられていた。

 葉の形をした印が光ると、指は本人の意思を無視し、指定された毒だけを正確に作る。

「勇者殺しを一瓶だ」

 毒商人が命じた夜、捕らえられていた冒険者レムが檻の向こうで笑った。

「ちょうどいい。私に使え」

「死にたいの?」

「その印を殺したい」

 イリヤの手が薬草を刻む。止めようとするほど呪印が骨まで焼いた。

 完成した紫の毒を、毒商人はレムの前へ置く。

「飲めば心臓が三呼吸で止まる。助かりたければ、お前の所有印をこいつへ重ねろ。薬師ごとくれてやる」

「いらない。薬師は道具ではないし、毒はもう完成している」

 レムは瓶を取り、一息で飲み干した。

 イリヤが息を呑む。

 一呼吸。二呼吸。

 三呼吸目に、レムは檻の鉄格子を素手で曲げた。

「なぜ死なない!」

「彼女の調合は完璧だ。だから材料を一つだけ替えれば、完璧な解毒薬になる」

 レムは空瓶を逆さにした。底に、白い種が一粒残っている。毒商人が雑草と思って捨てた月白草。イリヤが命令に逆らえない指先で、最後に爪の裏へ隠していたものだ。

「選べる指は一本だけ残っていた」

 レムがその指へ触れると、解毒の魔力が呪印へ逆流した。

 葉形の線は毒と判定され、自ら作った解毒薬に中和されて消える。

「新しい印を刻めば済む!」

 毒商人が焼き鏝を掴む。イリヤは自由になった左手で初めて自分のために薬瓶を投げた。眠り薬の煙が広がり、男は一歩も進めず倒れる。

 レムは砦の扉を開けた。

「森の外へ道がある。ついて来る必要はない」

 イリヤは鹿角を夜風へ向け、反対の道へ走った。

 三日後。レムが毒の後遺症で野営地に倒れると、薬草の匂いがした。

 戻ってきたイリヤが彼の隣へ薬箱を置き、自分で選んだ薬を煎じ始める。

「借りを返したら、また自由にしてくれる?」

「最初から自由だ」

「なら返し終わっても残る。あなたは私の一本の指を信じた。今度は十本全部で、あなたを死なせない」

 鹿角薬師の最後の毒は消え、最初の処方箋には、命令ではなく彼女自身の署名が記された。