『創業日の机』
土岐野杏は、最終面接で会社の創業秘話を語った。
「創業日の夜、私は社長室で牧瀬社長と二人きりでした。机の上の段ボールに商品名を書き、最初の事業計画をまとめたんです」
履歴書には、創業準備メンバーとして無給で半年間参加したとある。公式沿革に名前はないが、初期の混乱で記録が失われたという説明だった。
面接官の牧瀬冬一は、表情を変えずに尋ねた。
「その机は、どんな机でしたか」
「重い無垢材です。窓際にあって、社長が大切にしていました」
「段ボールには何色のペンで?」
「青です。社長の癖でした」
役員の一人が、身内だけが知る話らしいと頷いた。牧瀬冬一は創業者と同じ姓だが、広報上は遠縁ということになっていた。
牧瀬は創業月の会議室予約を映した。会社が現在の事務所へ入居したのは、創業から四か月後。創業日に社長室は存在せず、机もまだ購入されていない。
「登記前の仮事務所だったかもしれません」
土岐野は言った。
「場所を社長室と呼んでいただけで」
「仮事務所の場所を?」
「駅前の雑居ビルです」
牧瀬は古い共有ファイルを開いた。最初の事業計画の接続元は、郊外のパン店のWi-Fi。作成者欄は「Fuyuto」。更新時刻は閉店後の二十三時台だった。
創業者は資金がなく、牧瀬の母が営むパン店の配膳台を借りて仕事を始めた。段ボールではなく、小麦粉袋の裏へ商品名を書いた。青いペンを嫌い、必ず黒を使った。会社の神話を損なわないため、その事実を知るのは家族と最初の二人だけだった。
「私がFuyutoです。創業者の息子ではなく、共同創業者です。持株契約の都合で名を出していません」
土岐野の笑顔が消えた。
応募書類に添付された「創業者からの推薦メール」は、創業者が亡くなった後に作られていた。メールの下書き保存時刻と、土岐野の応募者ポータルへのログイン時刻が一致していた。
牧瀬は最終候補の札を伏せた。
「存在しない机の思い出では、会社の最初の日には戻れません」