『隠しシートの署名』

社内新規事業コンテストの最終面接で、戸川藍と峰岸克己は向かい合って座った。二人が提出した「駅前冷蔵ロッカー」企画は、売上予測まで同じだった。

審査委員長の多賀谷朔が尋ねる。

「先に作ったのはどちらですか」

峰岸が自信たっぷりに答えた。

「私です。戸川さんには市場調査を頼みましたが、企画の核は私が考えた」

藍は黙ってノートパソコンを開いた。

「売上予測の計算表を見てください」

表面上は同じ数字だが、藍の元ファイルには非表示シートがあった。多賀谷が表示すると、セルの端に「藍_試算一」「藍_試算二」という名前付き範囲が残っている。

峰岸は笑った。

「名前くらい後から付けられる」

「そうですね。だから更新履歴も見てください」

非表示シートは二か月前から毎晩少しずつ更新されていた。峰岸が初めてファイルへ触れたのは応募締切前日の十九時四十三分。閲覧の二分後、自分のフォルダへ複製し、隠しシートを削除していた。ただし削除したシートへの数式参照は表面のセルに残り、元が藍の計算表であることを隠し切れていなかった。峰岸版で数式を直すとエラーが出る理由も、削除した隠しシートを知らなければ説明できない。

「共同チームの共有資料だ。閲覧権限はあった」

「複製した時刻、私はあなたと面談していました」

藍が会議室予約を示す。件名は「企画相談」。峰岸はその場で「採算が悪いから応募をやめろ」と彼女へ告げていた。だが面談中、峰岸のデスク端末が遠隔操作され、ファイルを複製している。社内リモート接続の認証先は峰岸のスマートフォンだった。

多賀谷は二つの企画書を重ねた。

「戸川さんを諦めさせ、その場で盗んだわけですね」

峰岸は返事をしなかった。非表示だった署名だけが、スクリーンに残った。

委員長は優勝候補欄の名前を消し、藍の応募番号を書いた。

「事業化責任者は戸川藍さん。峰岸さんの次期課長候補推薦は失効とします」