「たぶん」と書かれた石

絵麻は、頼まれるたびに仕事を引き受けた。「たぶんできます」「なんとかします」と答えるうち、机には三人分の資料が積み上がった。自分の担当は後回しになり、先週は終電を逃した。それでも断れば期待を失う。周囲から「絵麻なら何とかしてくれる」と言われるたび、苦しさより先にうれしさが立った。できなければもっと失う。その間で、曖昧な返事だけが上手になった。

残業帰りの河原に、石を詰めた旅行鞄を引く人がいた。車輪は重みで沈み、旅人は数歩進むたび立ち止まる。石には白い字で「いつか」「せっかく」「念のため」「たぶん」と書かれていた。

絵麻が手を貸すと、旅人は鞄を開けた。

「一つ、置いていく言葉を選んでください」

「あなたの荷物ですよね」

「持ってくれた人には、重さを決める権利があります」

絵麻は一番大きな「いつか」の石を選びかけた。けれど目に留まったのは、掌ほどの「たぶん」だった。毎日、自分の口から落ちている言葉に見えた。

旅人はその石を取り出し、絵麻に渡した。

「明日一度だけ、『たぶん』を使わず返事をしてください」

「はいか、いいえで?」

「それ以外でも。黙る、という返事もあります」

旅人は軽くなった鞄を引き、川上へ去った。「たぶん」の石は見た目以上に重く、絵麻は両手で抱えて帰った。

翌朝、部長からメッセージが届いた。「午後の説明資料もお願いできる? たぶん一時間で終わると思う」。絵麻の予定表には、締切が三つ重なっている。

指がいつもの文を打つ。「たぶん大丈夫です」。その五文字なら、部長を困らせずに済む。自分が夜に困るだけだ。送信直前、机の下に置いた石が目に入った。

断れば空気が悪くなるかもしれない。評価が下がるかもしれない。けれど、それも「たぶん」だ。

絵麻は文章を全部消した。代わりに、自分の今日の作業時間と締切を三行で書く。最後に「本日は引き受けられません。優先順位を変更する場合はご指示ください」と加えた。

読み返すと、胸が石を飲み込んだように重い。既読がついたあとの沈黙まで想像し、指先が止まる。

それでも絵麻は、「たぶん」を一度も使わず送信ボタンを押した。