ごめんのあと半度
家の空調AIは、設定温度を正確に守った。
冬は二十二度。
誰が寒いと言っても、電気代節約モードなら変えない。
その家の夫婦は、結婚して四十年、よく喧嘩した。
大声ではない。
食器の置き方が少し強くなり、相手の湯飲みだけ出さなくなる、静かな喧嘩だった。
ある晩、夫が妻の大切な鉢を割った。
謝らずに接着剤で直し、ひびを裏側へ向けた。
妻はすぐ気づいたが、何も言わなかった。
部屋は二十二度なのに、二人とも厚い上着を着た。
翌朝、夫は空調AIへ言った。
「温度を上げてくれ」
「節約設定中です」
「半度だけ」
「変更できません」
夫は鉢を食卓へ置いた。
「割った。隠した。ごめん」
妻はしばらく鉢を見ていた。
「直し方も下手」
「それもごめん」
その瞬間、室温表示が二十二・五度になった。
設定は変わっていない。
十分後には二十二度へ戻った。
それから家では、誰かが本当に「ごめん」と言うたび、空調AIが十分間だけ半度上げるようになった。
孫が壁へ落書きをした日。
妻が夫の手紙を勝手に読んだ日。
夫が結婚記念日を三日間違えた日。
謝罪のあと、送風口から少し温かい風が出た。
家族は面白がり、寒い日にわざと謝るようになった。
「お菓子を一枚多く食べてごめん」
温度は上がらない。
「洗濯物を畳まなくてごめん」
上がらない。
空調AIは、口先だけの謝罪を受け付けなかった。
「機械のくせに厳しい」
妻は笑った。
冬の終わり、夫が入院した。
妻は一人の家へ帰り、空調を二十三度にした。
電気代は気にしなかった。
それでも部屋は寒かった。
夫の机を片づけると、鉢の欠片が一つ残っていた。
接着し忘れた部分だった。
妻は掌へ載せ、
「気づいてたのに、ずっと怒った顔をしてごめん」
と呟いた。
室温が半度上がった。
家には妻しかいない。
誰へ謝ったのか、AIがどう判断したのかは分からない。
退院した夫は、欠けた鉢へ小さな花を植えた。
ひびを表へ向けて窓辺へ置いた。
二人は以前ほど長く喧嘩を続けなくなった。
寒いからではない。
謝ればすぐ暖かくなることを知ってしまったからだ。
空調AIは今も二十二度を正確に守る。
ただ、家族が自分の間違いを相手へ渡せたときだけ、数字に表れない距離まで半度ぶん近づける。