ほっけの背骨を残して

 早川知樹が「波止場」へ来ると、店主は大きなほっけを網へ載せた。

「背骨の周り、きれいに食うんだったな」

 知樹は高校を出て家を離れたころ、この店でほっけの開きを覚えた。身を外側から食べ、最後に骨の近くを箸でさらう。父が魚を食べるときと同じ癖だと気づいてからも、直らなかった。

 皮が焼けてぱちぱちと縮み、脂が炭へ落ちる。煙には海の匂いと香ばしい塩気が混じり、厚い身を割ると白い湯気が立った。口へ運ぶと表面は乾き、内側には柔らかな脂が残っていた。

 父から九年ぶりに連絡が来た。

〈一度、会えないか〉

 両親が離婚したあと、知樹は母について家を出た。父は養育費を何度か遅らせ、母の悪口を電話で言った。知樹が十八歳のとき大喧嘩をし、それ以来、番号を消していた。

 今になって会いたい理由は書かれていない。病気かもしれない。再婚の報告かもしれない。ただ寂しくなっただけかもしれない。どの理由でも、自分が傷ついた時間が軽く扱われる気がした。

 拒絶の文を書いては消した。会えば許すことになる、と思っていた。許せないなら会うべきではない、とも。

 母には連絡が来たことをまだ話していない。話せば「会わなくていい」と言うだろう。その言葉に従えば安全だが、父を拒む理由まで母から借りることになる。知樹は、自分が何を聞きたいのかすら分からないまま、通知を消せずにいた。

「骨、裏にも身があるぞ」

 店主が言った。

 知樹はほっけを返した。表からは見えなかった小さな身が、背骨の陰に残っている。箸先で取ると、少し塩が強かった。

 父への返信を開く。

〈土曜の午後、駅の改札で三十分なら会えます。昔のことをなかったことにはできません〉

 会う場所は、人の多い駅にした。家には行かない。連絡先もまだ登録しない。話を聞いても、関係を戻すとは約束しない。

 送信しても怒りは消えなかった。むしろ、土曜が近づく重さが増した。それでも、理由を想像し続けるより、自分で三十分の境界を決める。

 骨の近くの身は冷めても脂が濃く、塩気が舌へ残った。皿に一本の背骨だけが白く残り、その周りにはまだわずかな温かさがあった。