カーテンのない窓
母は、澄佳の新居へ薄桃色のカーテンを持ってきた。
「まだ使えるでしょう。わざわざ買うことないわ」
透明な袋の中で、小さな花柄が折り重なっている。実家の澄佳の部屋に、中学生のころから掛かっていたものだ。母が選び、洗い、季節ごとに裾のほつれを直した。引っ越しの朝、澄佳は置いてきたはずだった。
母は脚立を開き、窓へ向かった。
「夜になったら外から丸見えよ」
「今日は掛けない」
「何を言ってるの。危ないでしょう」
「買うものを決めてからにする」
「これで十分。あなたは昔から桃色が似合うもの」
母がカーテンレールへフックを掛ける。一つ目、二つ目。窓の半分が、見慣れた花で覆われた。新しい部屋の白い壁まで、急に実家の続きに見えた。
澄佳は脚立を押さえる手を離した。
「下りて」
「あと少しよ」
「下りて、お母さん」
声が思ったより低く出た。母は脚立の上から振り返り、娘の顔を確かめるように見た。
「そんな怖い顔をしなくても」
「怖い顔をしないと、止まらないから」
母がゆっくり下りる。澄佳は掛けられた二つのフックを外し、カーテンを袋へ戻した。
「親切を無駄にするのね」
「親切でも、いらないものはいらない」
「じゃあ今夜どうするの」
「段ボールで隠す」
「みっともない」
「私しか見ないから平気」
母は脚立を畳み、強い音を立てて壁へ立てかけた。鞄を持つと、玄関まで一度も振り返らなかった。
「そのカーテン、持って帰って」
「捨てれば?」
「私のものじゃないから捨てない。選んだ人が決めて」
母の足が止まった。袋の中の花柄を見下ろし、やがて取っ手をつかむ。
「本当に、何も要らないのね」
「カーテンは要る。でも、これは要らない」
扉が閉まると、部屋には何も掛かっていない窓が残った。
澄佳は平らにした段ボールを立て、下半分だけ隠した。上の隙間から、向かいの建物の明かりが見える。知らない人の暮らしが四角く浮かび、自分の部屋もその一つになった。
翌朝、段ボールの端から細い光が差した。
澄佳は窓辺に座り、スマートフォンでカーテンを探した。白、青、灰色。すぐには決めず、画面を閉じる。
カーテンのない窓は落ち着かなかった。それでも、落ち着かない一晩を自分で選べたことが、薄桃色の安心より大切だった。