ケトルの底に春

電気ケトルの底を、白い輪が二重に囲んでいた。

余命を告げられて帰宅した日の午後、窪田季実はその輪を指でなぞった。

祖母と暮らす台所では、一日に何度も湯を沸かす。朝は番茶、昼は粉末のスープ、夜は薬を飲むための白湯。最近ケトルの音が大きくなり、注ぎ口から白い欠片が出ることがあった。

病院から戻ると、祖母はこたつで昼寝をしていた。季実は鞄を置き、マフラーだけ椅子に掛けて、ケトルの蓋を開けた。底の金属板を、石灰のような白い輪が二重に囲んでいる。

クエン酸は流しの下にある。去年、ポット洗浄用に買った残りで、透明な瓶へ移されていた。「食べられません」と太い字で書いてある。季実は説明書を検索し、水を満水まで入れ、粉を大さじ一杯溶かした。

スイッチを押す。青いランプが点き、低い振動が台所へ広がる。

医師は、春までを目安に、と言った。季実は病院を出てから、春という言葉を季節として考えないようにしていた。ケトルの中では水が小さく鳴り、白い輪の縁から泡が離れていく。

祖母が目を覚まし、台所へ顔を出した。

「お茶?」

「掃除」

「お湯、捨てるの」

「これは飲めない」

「もったいないねえ」

祖母はそう言いながら、素直にこたつへ戻った。余命のことは、まだ話していない。話せば「春なら蕗の薹だ」と返す人だ。季実はその返事を想像し、少し困った。

沸騰後、一時間置く。時計の針が動くあいだ、季実はほかの掃除をしなかった。何か始めると、ケトルを忘れそうだった。食卓に座り、祖母が畳む新聞の音だけを聞いた。

時間になり、中の湯を流す。白い欠片がいくつも渦を巻いた。柔らかいスポンジで底をなぞると、輪は薄い膜になって剥がれた。

注ぎ口の網にも白い欠片が引っかかっていたので、水を逆から通す。二度すすぎ、新しい水を沸かす。最初の一杯は洗浄用に捨てる。三度目の水を入れ、底をのぞく。

金属板は丸く光り、白い輪は一筋も残っていなかった。季実は蓋を閉め、スイッチを押した。青いランプが静かに点いた。