ラケットへの浮気
市民大会の決勝前、ダブルス選手の壬生川絢市は、相棒の鏡味環奈に体育倉庫へ呼び出された。
「最近、誰かと組んでる?」
「君以外とは組んでない」
「本当に?」
「練習相手くらいはいる」
「名前は」
「言えない」
「言えない相手と、夜のコートで会ってるの?」
「昼は人目がある」
「二人きりで?」
「集中したいから」
「私に隠れて、何を試してるの」
「握り方とか、振り抜きとか」
環奈の目が細くなる。
「どこまで触った?」
「グリップは何度も」
「グリップ?」
「汗で滑るから、巻き直した」
「手慣れてるのね」
「相性を確かめるには必要だ」
「私より軽い?」
「二十グラム軽い」
「体重を把握してる!」
「重さは大事だろ」
「顔は?」
「面は少し大きい」
「面の皮まで厚い!」
絢市は困惑した。
「何の話をしてる」
「あなたの新しい相棒よ」
「だから言えない。契約前なんだ」
「契約まで?」
環奈が倉庫の扉を開く。奥のロッカーから、絢市は黒いケースを取り出した。
中にあったのは、新型のテニスラケットだった。メーカーから秘密裏に試打を依頼され、情報解禁まで口外禁止だったという。
「夜のコートで会う」
「ラケットを使う」
「グリップを巻く」
「滑るから」
「私より軽い」
「君は三百グラムないだろ」
環奈は無言で旧ラケットを持ち上げた。
「じゃあ、この子とは別れるの」
「大会までは使う。新型に替えるかは、その後」
「二股じゃない」
「道具の比較だ」
「同じよ。長年支えた相棒を、若くて軽い子と比べるなんて」
「若い?」
「発売前でしょう」
決勝戦、絢市は旧ラケットを使った。二人は優勝した。
表彰台で環奈が囁く。
「浮気しなかったご褒美に、新型へ替えていいわ」
「許可制なのか」
「ただし私も替える」
「何を」
環奈はペア変更届を見せた。
「相棒」
「誰と?」
「まだ秘密。昼は人目があるから、夜のコートで試す」
「その言い方、わざとだろ」
「あなたの説明を参考にしたの」
絢市はその場で新型ラケットを封印した。
古い相棒を大切にするのが、最も安全な選択だった。