ラム酒抜きの札
三津谷叶恵は、洋菓子店「ニコラ」の名物がサバランだと知っていた。
丸いブリオッシュへラム酒のシロップを染み込ませ、生クリームを絞る。学生時代、友人たちと商店街へ来るたび食べた菓子だった。箱を開ける前から酒の甘い香りがして、それを大人になった印のように喜んだ。今夜は六年ぶりの同窓会がある。
叶恵は二年前から酒を飲んでいない。大きな事件があったわけではない。眠るために飲み、嫌な電話のあとに飲み、飲まなかった日の自分を落ち着かないと思うようになったので、やめた。けれど旧友には説明していない。
ショーケースには、黄色い札を立てたサバランが一つあった。「ラム酒抜き」と太い字で書かれている。
「これをください」
店主は品を取り出し、通常の赤い商品シールを剥がした。代わりに黄色い札と同じ色のシールへ「ノンアルコール」と印字し、箱の一番目立つ位置へ貼る。
「普通の箱でいいです。見えないところに貼っても」
「取り違え防止です」
店主は表から動かさなかった。隠すことより、間違えないことを優先する手つきだった。
会計の間、叶恵は同窓会のグループチャットを開いた。幹事から〈乾杯は懐かしのカクテルで!〉と届いている。これまでなら、会場でこっそりソフトドリンクへ替え、理由を聞かれれば薬を飲んでいると嘘をついただろう。
店主はサバランの箱へ白い紙紐を掛けた。黄色い表示が隠れない位置で結び、余った端を短く切った。
叶恵はチャットへ書いた。
〈私はお酒をやめたので、乾杯はノンアルで参加します。料理は楽しみにしてる〉
送信して数秒、ハートの反応が一つ、二つと付いた。理由を尋ねる返信はなかった。もし会場で聞かれたら、「今は飲まない」とだけ答えればいい。
店を出る前、叶恵は箱の黄色い文字を見た。ラム酒がないサバランを、偽物とは思わない。染み込んでいるのは柑橘のシロップで、昔の味とは違う。それでも今夜の自分には、こちらが正しい。
叶恵は箱を持ったまま、同窓会の店へ向かう角を曲がった。