一番短い買い物メモ

美弦は一人暮らしになってからも、四人分の癖で買い物をした。元恋人が好きだった辛いソース、泊まりに来る妹の低脂肪乳、母に頼まれた洗剤。自分しかいない冷蔵庫に、誰かの好みばかりが残った。別れた直後、辛いソースを捨てようとして蓋を開けられなかった。物を残すことと、人を待つことの区別が曖昧になっていた。

スーパーで何が食べたいか考えると、頭の中に「何でもいい」が浮かぶ。結局、日持ちするものを買い、満足しないまま冷凍する。

隣室のクラーラはチェコから来た翻訳者で、夜になると長い買い物メモを片手に出かけた。ある日、エレベーターで一緒になり、美弦のスマートフォンに表示された十七項目を見て尋ねた。

「この中で、今日の美弦さんはどれですか?」

洗剤、電池、だしパック。答えられるものがない。

クラーラは自分のメモを見せた。そこには日本語で「すっぱいもの」とだけ書かれている。

「明日は一番短いメモ。一つだけ。必要なものではなく、今夜ほしいもの」

「一つだと、買い忘れます」

「忘れて困るものは、明日も店にあります」

正解の説明はせず、彼女は一階で降りた。

翌日、美弦は仕事中から一語を探した。昼休みに同僚が食べたいものを尋ねても、また「何でも」と答えた。その瞬間、自分の声が自動応答のように聞こえた。ケーキ、刺身、炭酸水。どれも「別に」と打ち消してしまう。退勤時、母から洗剤の写真が届き、妹から低脂肪乳の特売情報が来た。元恋人の好きだったソースが切れていることまで思い出した。

スーパーの入口で、美弦はメモを新規作成した。

〈桃〉

子どもの頃、皮をむいた最初の一切れを母がいつも美弦へくれた。思い出したのは味より、果汁で冷たくなった指だった。

それだけ残し、家族のメッセージを閉じた。売り場には二個入りと一個入りがある。二個なら誰かに分けられる。美弦は一個だけの桃を手に取った。産毛のある表面から、甘い匂いがかすかにした。

レジへ向かう途中、洗剤の棚が見えた。足が止まりかける。

美弦は桃だけを両手で持ち直し、一品しか載っていない買い物籠を、そのまま会計台へ置いた。