三時十四分の腕時計

息子が海外へ移ってから、母は「忙しいなら連絡しなくていい」と言い続けた。

本当は毎日でも声を聞きたかった。

けれど時差も仕事もある。寂しいと言えば、息子の足を引く気がした。

夫の形見の腕時計は、三時十四分で止まっていた。

夫が亡くなった時刻だ。

修理に出さず、箪笥へしまっていた。

ある日、時計が突然五時二十分を指した。

数秒後、また三時十四分へ戻る。

翌日は夜十一時四分。

その次は昼一時三十三分。

母が息子から久しぶりの電話を受けたとき、理由が分かった。

「昨日、こっちの朝五時二十分に、母さんの肉じゃが思い出した」

時計が示した時刻と同じだった。

腕時計は、遠くにいる誰かが母を思い出した時刻へ、短く針を動かした。

それから母は、時計を毎日机へ置いた。

息子から連絡がなくても、針は時々動いた。

午前三時、午後二時、真夜中。

思い出すだけで電話をしない息子へ、少し腹も立った。

それでも忘れられていない証拠のようで嬉しかった。

ある週、時計は一度も動かなかった。

母は病気か事故かと心配し、電話をかけた。

息子は元気だった。

仕事の締切で、三日間ほとんど眠っていないという。

「思い出す暇もなかった?」

冗談のつもりで言うと、息子は黙った。

「ごめん」

「謝ることじゃない」

そう答えながら、母は自分が時計を監視していたことを恥ずかしく思った。

電話の向こうで息子が言った。

「母さん、連絡しなくていいって言うけど、本当にしなくていいの?」

母はいつもの返事をしようとした。

その瞬間、腕時計の針が動いた。

今の時刻を指した。

息子が、電話の向こうで母を思っている時刻だった。

「週に一度はして」

初めて、頼んだ。

「忙しい週は、短くていい」

「分かった」

「肉じゃがの作り方も送る」

「それは味が違うから帰ったときに教えて」

時計は三時十四分へ戻った。

半年後、息子が帰国した。

母は腕時計を渡そうとしたが、息子は受け取らなかった。

「父さんの時間は、母さんが持ってて」

代わりに、二人で新しい時計を買った。

世界時刻を二つ表示できる安い物だった。

形見の時計は今も、ときどき針を動かす。

息子だけではない。

孫、近所の友人、昔の同僚。

誰が思い出したのか分からない時刻も増えた。

母はもう、動くたびに相手を探さない。

自分も誰かを思い出したら、時計に任せず電話をする。

思うことと伝えることの間には、針一本では測れない距離があると知ったからだ。