三百年目の返却
王立書庫の禁書には、夜ごと一人の騎士が現れる。
亡霊騎士エドラス。
三百年前、魔導書《灰の王》と一緒に所有登録され、最終頁を読む者を斬るよう呪われた番人だ。
新任司書シオンが書庫へ入った夜も、半透明の剣が喉元に止まった。
「本を閉じろ」
「あなたが閉じれば?」
「所有物は蔵書に触れられない」
エドラスの胸には古い蔵書票が貼りつき、魔導書の背表紙と同じ番号が燃えていた。
前任司書たちは自分の蔵書印へ貼り替え、騎士を夜警として使ってきたらしい。
翌朝、館長が新しい票を渡した。
「君の名で登録し直せ。便利な番人だぞ」
「返却はできませんか」
「禁書も亡霊も永久蔵書だ」
シオンは修復室へ魔導書を運んだ。
革表紙を傷つけず、糊だけを緩めるため、温めた薄紙を蔵書票へ重ねる。
エドラスが苦しげに膝をつく。
票は彼の魂にも貼られている。急いで剥がせば、魂ごと裂ける。
「やめろ。お前の印を上から押せ」
「それでは返却になりません」
「私はもう死んでいる」
「だからといって、所蔵していい理由にはならない」
シオンは三百年分の糊を、少しずつ蒸気でほどいた。
最後の端が浮く。
蔵書票を剥がした瞬間、魔導書の番号もエドラスの胸の番号も白く消えた。
館長が命令印を押すが、何も起こらない。
エドラスは窓の外を見た。
朝日が亡霊の身体を透かしている。
「消えてもいいのです」
シオンは書庫の扉を開く。
「残ってもいい。ただし、どちらもあなたが決めてください」
騎士は光の中へ歩き、見えなくなった。
その夜。
一人になったシオンが巡回していると、貸出机の呼び鈴が鳴った。
薄く透けたエドラスが立っている。
手には、誰でも作れる一般利用者カードの申込書。
「成仏しなかったんですか」
「外へ出て、三百年ぶりの朝を見た。次は、読めなかった本を読みたい」
「夜警ではなく?」
「まず読者として。その後、あなたが雇うなら夜警もする」
彼は羽根ペンを握り、自分の名を自分で書いた。
シオンが押したのは所有印ではなく、三百年目の貸出印だった。