事実だけのアルバム
佐伯瑠衣は、祖母に自分を思い出させる本を探していた。
「昔の歌とか、写真の本とか。何か見せたら、孫だって分かるかもしれなくて」
鹿倉皐月は真っ白なカフスを左右きっちり揃えた。
「事実だけ話してください」
「祖母が私を忘れたんです」
「診断名ではなく、起きたことを」
冷たい言い方に聞こえた。瑠衣は唇を噛み、先週の面会を説明した。祖母は瑠衣を“洋子さん”と呼んだ。洋子は祖母の妹で、瑠衣とは目元が似ている。帰り際には「赤いマフラー、似合うね」と言った。
鹿倉は記憶に関する本ではなく、写真整理と聞き書きの棚へ案内した。
「思い出させる方法を知りたいんです」
「相手の記憶を正解へ直す本はありません」
「じゃあ、何もできないんですか」
「事実だけ話してください。あなたのお祖母さまが今、話せることは?」
瑠衣は考えた。祖母は昔の町の道を覚えている。裁縫店で働いた話をする。写真を見ると、服の生地や縫い方を言い当てる。
鹿倉は台紙の厚いアルバム作りの本を開いた。
「写真の下に、あなたが答えを書くのではなく、お祖母さまの言葉を書いてください」
瑠衣は家族写真を十二枚選んだ。次の面会で一枚ずつ見せる。祖母は人の名前を間違えたが、母の入学式のワンピースを「裾を三センチ出した」と覚えていた。瑠衣の成人式の写真には、「この赤は顔が明るくなる」と言った。
瑠衣はその言葉を、そのまま写真の下に書いた。
四度目の面会で、祖母はアルバムを開き、赤いマフラーの瑠衣の写真を指した。
「この子は、よく来るね」
「うん。私だよ」
「瑠衣ちゃん?」
一瞬だけ名前が戻った。瑠衣が泣くと、祖母は困った顔でティッシュを渡した。
図書館へ報告に行くと、鹿倉は白いカフスを整えた。
「思い出してくれました。でも、また忘れると思います」
「事実だけ話してください」
瑠衣は少し腹を立て、それから言い直した。
「祖母は私の名前を一度呼びました。赤が似合うとも言いました。私は来週も会いに行きます」
鹿倉は初めてうなずいた。
「十分です」
「それも事実ですか」
「いいえ」
白いカフスの端を、鹿倉がそっと緩めた。
「それは私の感想です。アルバムには書かなくていい事実も、残していい気持ちもあります」