二十七枚の名札
国際会議初日の午前十一時、ホテルのフロントに名札が二十七枚並んだ。
神門絃乃は最後の一枚を置いた。客室清掃、リネン、夜間整備。宿泊客からは名前も顔も見えにくい仕事だった。
万里小路毅志社長は名札を手で払い、床へ散らした。
「繁忙日に辞めるなんて損害賠償ものだ。掃除係は一時間で教えられる」
絃乃たちは、使用中の客室だけは朝のうちに整え、忘れ物もフロントへ渡していた。そのうえで退職した。車椅子利用者の部屋や乳児連れの客については、向かいのホテルへ個別に情報を引き継いだ。万里小路は人員を減らし続け、二人分の階を一人に持たせ、残業欄を空白にさせていたが、二十七人は最後まで客を罰しなかった。
ロビーへ大型バスが三台入ってきた。万里小路は安堵したが、降りてきたのは宿泊客ではなく、向かいのホテルの支配人と会議運営会社の責任者だった。
「本日午後から、参加者全員を向かいへ移します」
「千室を超える契約だぞ。今さら変更できるわけがない」
「できます。衛生管理体制が維持できない場合の解除条項があります」
支配人は絃乃へ新しい名札を渡した。向かいのホテルは二十七人全員を正社員として採用し、会議運営会社も宿泊契約をそちらへ切り替えていた。
万里小路は床の名札を踏んだ。
「こいつらがいなくても部屋は売れる」
その直後、労働基準監督署の職員がランドリー室へ入った。リネン棚の奥から、従業員が保管していた実勤務表が出てくる。表の勤務時間は、会社提出の記録より毎日四時間長かった。
さらに建物の所有会社から、運営委託契約の解除通知が届いた。国際会議の解約で今月の売上は消え、銀行は改装融資の返済猶予を撤回するという。
ロビーの電光掲示板から会議名が消え、向かいのホテルの表示へ移った。
絃乃は床の名札を拾わず、新しい名札を胸に付ける。そこには名字だけでなく、正社員という雇用区分も印刷されていた。
二十七人がバスに乗った瞬間、満室だったホテルは空になり、空席扱いだった二十七人の価値だけが満室になった。