二階資料室の鉛筆
明科達也は、日曜になると郷土資料館の二階へ行く。
展示室ではなく、申請すれば使える資料閲覧室が目的だった。
古い地図、町会の記録、昔の商店街の写真。達也は研究者ではない。ただ、自分が暮らす町の前の姿を眺めるのが好きだった。
閲覧室では、筆記具は鉛筆だけ。
机の上に短く削られた鉛筆と、白い消しゴムが置かれている。
達也は毎回同じ一本を選ぶ。側面に小さな歯形のような傷がある鉛筆だ。
自宅では家族がテレビを見ている。
職場では数字の表を作る。
二階資料室なら、誰にも役に立たない疑問をゆっくり追えた。
昔、この町にあった銭湯の煙突はどこから見えたのか。川沿いの桜はいつ植えられたのか。
答えが見つからなくても困らない。
ある日、傷のある鉛筆がなくなっていた。
達也が机の引き出しまで探していると、学芸員が言った。
「短くなりすぎたので、新しいものへ替えました」
「まだ使えました」
「持ちにくかったでしょう」
「慣れてたので」
自分でも子どものような返事だと思った。
学芸員はしばらく考え、廃棄箱から短い鉛筆を出した。
「資料館の物なので持ち帰れませんが、鉛筆立てに残します?」
達也は頷いた。
新しい鉛筆で、昔の住宅地図を写した。
線は濃く、手に力を入れなくてもよい。短い鉛筆は、机の端の立て物へ入っている。
使わないのに、見えるだけで落ち着いた。
昼、資料館の庭へ出た。
持参した塩むすびを食べ、魔法瓶の番茶を飲む。
目の前には、地図に載っていた古い井戸が残っている。今は蓋をされ、花鉢が置かれていた。
学芸員が通りかかり、
「煙突の場所、分かりました?」
と訊いた。
「まだです」
「では次の日曜もありますね」
達也は笑った。
閉館前、短い鉛筆を一度だけ手に取った。
指へ収まる長さ、削った木の匂い、何人もの手で丸くなった角。
新しいものへ替わっても、古いものが消えなくてよい場所だった。
帰宅すると、町の夕方に夕飯の煙が上がっていた。
銭湯の煙突は見つからない。それでも資料室の紙と鉛筆、庭の番茶の香りが、今いる町へもう一枚、昔の薄い地図を重ねてくれていた。