井戸端に名前を

戦のあと、丘の集落には三つの民が住み着いた。

角持ち、森人、平原人。家は隣り合っていても、水場は別だった。角持ちの浅井戸が枯れれば森人の泉へ頭を下げ、平原人の井戸が濁れば高値で水を買う。

助けるたび、昔の敗戦や追放が持ち出された。

宿屋の主人イーヴァは、三つの水を同じ鍋で沸かしていた。

「客の腹の中では混ざるのに、井戸端では混ざらないのね」

彼女は宿の裏庭を共同井戸の候補地にした。

ただし条件を一つ置く。

井戸に民の名をつけないこと。

費用は成人一人につき銅貨二枚。戦傷者、子どもだけの家は免除。働く者は石運び、縄編み、炊事のどれを選んでも銅貨一枚分と数える。誰がどの民かは帳簿へ書かず、作業名と数だけを掲示する。

水は一世帯三桶まで無料。それ以上は共同畑への水やりを一刻手伝えばよい。

「我らの石工が枠を組むなら、角持ち井戸と呼ぶべきだ」

角持ちの長が言う。

森人の長も、泉探しをするのは自分たちだと譲らない。

イーヴァは空白の看板を見せた。

「名前を欲しい者は、手伝わなくて結構です。水は汲めます」

名誉を餌にせず、拒んでも水を奪わない。

三人の長は、かえって引くに引けなくなった。

翌日、森人が水脈を探し、角持ちが石を切り、平原人が滑車を組んだ。

昼には三つの鍋が並んだが、どの料理を誰が作ったか書かれていない。子どもたちは気にせず食べ、同じ泥で膝を汚した。

大人たちも、作業名だけが増えていく板を見ているうち、出自を数えるのを忘れた。

八日目、掘り底から水が湧いた。

最初の桶を誰が上げるかで、三人の長が顔を見合わせる。

やがて三人とも縄へ手を掛けた。

ぎこちなく力を合わせ、満ちた桶を井戸枠へ載せる。

残った仕事は、空白の看板だけだった。

長たちは互いに譲らず、また揉めかける。

そのとき、泥だらけの子どもが炭を拾い、板へ大きく書いた。

――みんなの井戸。

あまりにそのままなので、誰かが吹き出した。

笑いは三つの訛りで広がった。

看板の下でこぼれた水は、角のある足にも、裸足にも、革靴にも、区別なく冷たかった。