借り物の空模様

引っ越し当日の朝、箕輪えまの空色の傘が、花柄の傘に取り替わっていた。

雲と小さな鳥が描かれた傘は、五年間暮らした部屋の玄関にいつもあった。新居でも最初に傘立てへ入れるつもりだったのに、荷物を積み終えたころには消えていた。

玄関を出入りしたのは、引っ越し担当の沢渡宗介、新しい隣人の日比谷瑠衣、元同居人の江良雪乃。沢渡は段ボールを運び、瑠衣は鍵の受け渡しで新居から来た。雪乃は最後の掃除を手伝っている。

残された花柄の傘には、新居の住所ラベルが貼られていた。留め紐には引っ越し用の青いテープ。雨の中にあったはずなのに、持ち手だけが乾いている。

「先に新居へ運ばれたのね」

えまが言うと、雪乃は目をそらした。

空色の傘は、第一便のトラックへ積まれていた。雪乃が花柄の自分の傘を代わりに置き、住所ラベルを付け替えたのだ。

「どうして傘だけ?」

「新しい玄関、何もないと知らない家みたいだったから」

二人は学生時代から一緒に暮らした。空色の傘は、雨の日にどちらかが駅まで迎えに行くときの合図でもあった。えまの転勤が決まっても、雪乃は「ちょうど広い部屋が欲しかった」と笑った。送別会もいらないと言い、荷造りの間も一度も寂しいと言わなかった。

本当は、朝起きて空色の傘がない玄関を見るのが嫌だったのだという。けれど、えまが新居へ着いたとき、知らない傘立てに見慣れた空があれば、少しは帰ってきたように感じると思った。

「だからって、勝手に取り替える?」

「最後まで普通にしていたら、言えそうになかったから」

雪乃は花柄の傘を差し出した。

「行ってらっしゃい、って」

新居へ着くと、空色の傘は玄関の右端に立っていた。雲の模様の下に、小さな紙が挟まっている。

〈ここも、帰っていい場所になりますように〉

夜、えまは雪乃とビデオ通話をつなぎ、引っ越し祝いのカップアイスを同時に開けた。

「ただいまは、そっちにも言うから」

冷たい一口のあと、画面の向こうで雪乃がやっと泣いた。