先生の懐中電灯
恋バナの途中で、伊吹が泣いた。
好きな人の話ではなかった。「旅行が終わったら何をする」という質問に、彼だけ答えなかった。しつこく聞くと、来月、父親の仕事で転校すると言った。
誰にも話していなかった。昼間は誰より写真へ入り、土産を大量に買い、自由行動の予定を一分刻みで詰めていた。残り時間が少ないと知っていたから、全部を覚えておこうとしていたのだと、そのとき初めて分かった。
修学旅行がこのクラスで過ごす最後の行事になることも、帰りのバスから降りたら残り三週間しかないことも。
「だから恋バナとか、どうでもいい」
伊吹は笑おうとしたが、声が裏返った。顔を隠すため布団へ潜り、そこで泣き始めた。
窓際には、伊吹が今日買った同じ柄のキーホルダーが人数分並んでいた。渡す時期を決められず、鞄へ隠していたものだった。泣いている本人より先に、それを見た私たちの方が言葉を失った。
私たちは困った。昼間なら肩を叩けた。教室ならふざけてごまかせた。真っ暗な旅館の部屋では、誰がどこを見ているか分からず、慰める言葉だけが大げさに響きそうだった。
そのとき、見回りの先生が戸を開けた。
懐中電灯の光が一人ずつ顔をなぞり、伊吹の布団で止まる。彼は間に合わず、濡れた頬を照らされた。
先生は何も聞かなかった。
「窓側、雨漏りか」
外は晴れていた。
先生は廊下の棚からタオルを一枚持ってきて、伊吹の枕元へ置いた。
「朝までに拭いておけ。ほかの者も、騒がず手伝え」
戸が閉まる。光が細くなり、消えた。
誰かがタオルを伊吹の顔へ投げた。別の誰かが「三週間あれば、送別会を十回できる」と言った。「毎日やる気かよ」「授業なくなるな」と声が重なった。
伊吹はタオルの下で笑った。
私たちは布団を少しずつ動かし、彼の周りへ寄せた。肩が触れ、足がぶつかり、狭くて暑かった。
廊下の向こうで、先生の懐中電灯が別の部屋を照らしていた。
あの夜、先生は雨漏りを一滴も見なかった。
それでも私たちは朝までに、伊吹の枕元をきれいに乾かした。