公園の屋根と将棋盤

 浮田柚季は、公園を横切る途中で雨に降られ、六角形の東屋へ駆け込んだ。

 中には老人が一人、折り畳みの将棋盤を広げていた。

 向かいの席は空いている。

「雨宿り、いいですか」

「屋根は私のものじゃない」

 老人は駒を並べ続けた。

 一人で詰将棋をしているらしい。

 柚季は向かいへ座った。

 雨粒が池へ落ち、無数の輪を作る。

 老人は王将を一つ動かし、首を傾げた。

「分かる?」

「駒の動きくらいなら」

「では一手」

 柚季は突然、盤へ参加することになった。

 老人が先手、柚季が後手。

 勝負ではなく、一人一手だけ指して相手へ返す。

「その歩、取られますよ」

「雨が止むまで持てばいい」

「将棋の目的が変わってます」

「今日は時間つぶしだから」

 柚季は最近、資格試験に落ちた。

 勉強した時間がすべて無駄になったようで、参考書を見るのも嫌になっていた。

 盤の上でも、損をしない手ばかり考えてしまう。

「間違えたら戻していいですか」

「一人のときは、何度でも戻す」

「対局中は?」

「雨宿り中も、それくらいでいい」

 柚季は一度動かした銀を元へ戻し、別の場所へ置いた。

 老人は何も言わず、次の手を指した。

 東屋の端へ、売店の女性が熱い缶珈琲を二本届けてくれた。

 老人の顔なじみらしい。

 柚季も一本買い、缶を両手で包んだ。

 珈琲の甘い香りと、濡れた土の匂いが混じる。

 三十分後、盤面は互いに駒を取り合わず、妙に静かな形になっていた。

「終わらないですね」

「雨も将棋も、無理に終わらせなくていい」

 老人は王将を盤の中央へ進めた。

「普通、王はそんなところへ出ません」

「今日は散歩」

 雨が止み、池の向こうへ薄い虹が出た。

 二人は勝敗を決めず、駒を箱へ戻した。

「次に会ったら続き?」

「盤面を忘れる」

「では最初から」

「それがいい」

 柚季は東屋を出た。

 試験の勉強をいつ再開するかは、まだ決めない。

 ただ、間違えた手を一度戻し、別の場所へ置いてみてもよいと思えた。

 靴の裏へ湿った土がつき、指には缶珈琲の熱が残っていた。

 公園の木々から雨粒が落ちるたび、終わらなかった対局の続きが、小さく鳴っているようだった。