写真の外から一歩
会社の広報写真を撮る朝、私は撮影場所へ向かわず、母校近くの歩道橋へ来ていた。鞄には、高校時代の古い写真が一枚入っている。手すりの上へ置くと、風に煽られた紙の端を慌てて押さえた。
写真には、文化祭帰りの五人が写っている。正確には四人と、バスの窓に映った私の横顔だ。当時の私は自分の体型が嫌いで、カメラを向けられると必ず「撮る側になる」と逃げた。
その日も歩道橋で集合写真を断った。佳音は何も言わず、通りかかったバスの窓へカメラを向けた。現像された写真を見て怒る私に、彼女は笑った。
「写真に入るって、真ん中で笑うことだけじゃないよ。ここにいたって残ればいい」
私はその写真を机の奥へしまった。褒め言葉も慰めも、当時は全部、自分を見ないための嘘に思えた。
二十七歳になり、私は化粧品会社で働いている。今日撮るのは新しいプロジェクトのメンバー写真だ。企画をまとめたのは私なのに、上司へ「私は端で」「顔は小さく」と頼み、できれば欠席したいとさえ思っていた。
古い写真の窓には、笑っていない私が映っている。それでも四人と同じ夕焼けの中にいる。佳音は私を美しく写そうとしたのではなく、消えなくていいと教えてくれたのだ。
私は写真を鞄へ戻し、会社へ向かう。撮影には十分間に合う。スタジオでカメラマンが「背の順で並びましょう」と言ったとき、いつものように最後列へ逃げかけた。
けれど、担当者として商品を持つ人が必要だと聞き、手を上げた。中央ではない。前列の少し右。頬の丸さも、緊張した肩も、そのまま写る位置だ。
シャッターの直前、私は佳音の言葉を思い出す。ここにいたと残ればいい。
歩道橋で写真の裏を見ると、佳音の字で日付だけが書かれていた。評価も説明もない。その簡潔さが、今の私にはいちばん優しかった。写り方より、そこにいた日を残してくれたのだ。
フラッシュが光る。過去の写真からきれいな自分を探すのではなく、今の自分を一枚増やすために、私は目を閉じずにレンズを見た。