刻み食の丸印
介護施設の夕食前、梨本千景は一枚の献立札をトレーから抜いた。
翌日から産休に入る管理栄養士の西垣郁美が、最後に引き継いだ入居者の食事だった。札には〈細かい刻み〉の丸印。厨房では、白身魚を小さく切った皿が温蔵庫へ入ろうとしている。
千景は札の右下に、今日の日付の青い印があるのを見つけた。昼に行われた嚥下評価の更新印だった。電子記録を開くと、食形態は〈ペースト〉へ変更されている。紙の献立札だけ、朝に印刷されたままだった。
厨房主任は「一食くらい、よく噛めば大丈夫」と言った。配膳まで五分。千景はトレーを止め、魚をペーストに作り直した。新人職員には「口へ運ぶ前に、日付が一番新しい記録を一緒に見よう」と声をかけ、全員の札を確認した。もう一人、飲み物のとろみ段階が変わった入居者も見つかった。
厨房ではミキサーの低い音が響き、作り直した魚から湯気が上がった。千景は配膳車を追いかけるのではなく、更新された二人分の札を先頭へ差し直した。郁美が毎日走って埋めていた七分を、誰かの反射神経ではなく通知で確保する必要があった。千景は配膳前の確認時刻を五分早め、看護側にも完了表示が見えるようにし、未確認なら配膳車が出ない設定にした。
夕食は七分遅れた。待っていた女性は、温かい魚をゆっくり飲み込み、「今日はむせないね」と笑った。
郁美は引き継ぎ棚から、赤と青の丸印が入った印鑑箱を出した。
「更新がある日は、私が厨房まで走って押し直してたの。システム同士がつながってなくて」
千景は印鑑箱を閉じた。看護記録が更新されたら献立札を再発行し、古い札を無効にする通知を情報担当と設定した。
施設長は、郁美の栄養管理と、欠員中の厨房事務をまとめて千景へ任せると言った。
千景は二つの職務を一枚にした辞令を差し戻した。代わりに、嚥下評価と食事をつなぐ〈食支援連携担当〉の職務案を添える。
今日の事故未然報告と一緒に、その新しい役割への異動願を提出した。