削除されたブランチ

二十三時五十分。乾士門は東京の開発室で、守屋小鞠と画面を共有していた。小鞠は大阪。二人で作った家計アプリを、本番環境へ公開するまで十分だった。

机には銀色のUSBメモリがある。学生時代の開発合宿で一本を交互に使い、終電を逃した。側面の傷は、小鞠が慌てて机から落とした跡だ。キャップの内側には、二人が最初に稼いだ百円玉を薄く削った印が貼られている。宅配の到着日だけは残業を入れず、受け取った側が十秒の起動動画を送り、もう一方が確認するのが決まりだった。遠距離になってからも、重要な更新だけはこの一本へ保存し、宅配便で往復させた。

画面には〈together〉という作業用の分岐が表示されている。二人で暮らすための貯蓄機能を作ったとき、小鞠がつけた名前だった。

「公開前に、そのブランチ消して」

小鞠が言った。

士門はマウスを止めた。先週、東京で同居する案を送ると、返事は〈今は決められない〉。その後、小鞠は引っ越し費用の試算機能を削り、共有カレンダーから内見日も消した。

「仕事だけ残したいってことか」

「何の話?」

「togetherを消せば分かる」

通話に雑音が入り、小鞠の声が細切れになる。

「マージ申請したから……通ったら別に……残さなくていい」

士門には〈もう別に残さなくていい〉だけが聞こえた。

二十三時五十六分。彼は確認画面で〈強制削除〉を選んだ。未反映の変更も一緒に消える警告が出たが、構わず実行した。

直後、通信が戻る。

「どうして先に消したの。統合の通知、まだ届いてなかった?」

小鞠の統合申請が遅れて表示された。住所設定の初期値は東京。備考欄には〈四月から東京オフィス勤務。士門と同居予定〉。承認後は分岐を本体へまとめ、別々に保存する必要がなくなるという意味だった。

しかし強制削除で、まだ統合されていない契約情報まで消えていた。バックアップは銀色のUSBにある。士門が先週、別れを覚悟して初期化した一本だった。

午前零時。公開処理が始まる。小鞠は長く黙り、「仕事も私生活も、相談せず消すんだね」と通話を切った。

士門は公開を中止できたが、止めなかった。銀色のUSBをパソコンから抜き、空の封筒へ入れて大阪の住所を書いた。