十四泊の契約
宇田川奈央が手にしていた契約書には、「十四泊」と書かれていた。
移りたいと思っている町は、今の場所から新幹線で二時間半。旅行では何度も訪れた。川沿いの市場も、朝早く開く書店も好きだった。けれど旅行の町と、暮らす町が同じとは限らない。
不動産会社は一年契約の部屋を勧めた。初期費用は高いが、月々は安い。十四泊の家具付き住宅は、一日あたりにすれば倍近い。
「お試しにしては長いし、引っ越しにしては短いですね」
担当者は笑った。
奈央もそう思った。二十九歳にもなって、二週間だけ別の町に住み、合わなければ戻る。決断を先延ばしにするため、高い料金を払うように見えた。
机には二つの封筒がある。一年契約の申込書と、十四泊の利用契約書。前者へ署名すれば、覚悟のある人になれる。後者なら、十四日後も同じ問いに答えなければならない。
けれど奈央が知りたいのは、観光地の景色ではなかった。平日の夜に一人で帰る道、燃えるごみを出す曜日、雨の日の川の匂い。二週間で分かることだけでも、自分で確かめたかった。
奈央は十四泊の契約書に署名した。
担当者は「その後、一年へ切り替える場合は」と説明を始めたが、奈央はまだ頷かなかった。移るか戻るかを、今日の自分に決めさせないことも、今日の選択だった。
荷物は大きなスーツケース一つに収めた。最後に、いつも使う枕だけを押し込む。ふたは少し膨らんだ。
十四泊の部屋には食器が二枚ずつ用意されていたが、奈央は一枚だけを洗って使うつもりだった。旅行者のように浮かれる日も、住人のようにごみ袋を結ぶ朝もあるだろう。短い契約だから無責任なのではなく、短さの中で見ると決めたものを見落とさない責任がある、と奈央は考えた。
十四日で答えが出ない可能性もある。そのときは、分からなかったという結果まで持ち帰る。奈央はそう決めて改札を通った。
奈央は契約書を封筒へ入れ、「十四日後の私へ」と表に書いた。答えではなく、次に答える場所を、自分で選んだ。