同じ声の非常線
銀行強盗事件の犯人は、逃走直前、警察無線へ偽の非常線指示を流した。
二十五年間、声の主は不明。音声鑑定官の菱沼航は、再鑑定室で現職警察官五人の比較音声を並べていた。その一人、県警広報官の八代瀬誠が立ち会っている。テレビで県警の正義を語る、誰もが知る声だった。
古い録音の男は言う。
――東口を開けろ。機捜の命令だ。
八代瀬の比較音声も同じ文を読む。基本周波数だけなら一致率は低い。だが「機捜」の前に舌を鳴らす癖と、息を吸わずに末尾を落とす特徴が重なった。
「似ているだけだ」
八代瀬は落ち着いていた。
航はもう一つの波形を示した。犯人の無線には、発信ボタンを二度浅く押す接点音がある。八代瀬が現役記者会見で使う無線にも、同じ間隔の癖が記録されていた。
「事件当時、あなたは機動捜査隊。非常線の東口を担当していました」
「だから音声資料が多いだけだ」
「東口を開けた結果、逃走車は警察車両とすれ違った。運転手は射殺され、共犯者だけが逃げた」
八代瀬の目が波形から離れた。
「撃ったのは共犯者じゃない。潜入していた捜査員だ。銀行側に正体がばれ、逃走に便乗した。私は非常線を開けるよう命じられた」
「誰に」
「今の本部長だ」
事件は、警察の潜入捜査員が現金とともに消えた事実を隠すため、単純な強盗殺人にされた。八代瀬は声を貸し、代わりに広報畑を歩んだ。
「鑑定を出せば、過去の潜入捜査が全部争われる」と彼は言った。「情報提供者も危険にさらす。君は音の一致しか見ていない」
航の報告書には、上司が「同一人物と断定できず」と結論を用意していた。それ自体は科学的に正しい。声だけで断定はできない。だが、捜査対象から八代瀬を外す理由にはならない。
航は結論を「個人識別不能」から変えなかった。その下に、舌打ち、呼吸、接点音、配置記録を列挙し、「現職広報官を含む再捜査が必要」と追記した。
八代瀬が「科学者が政治を書くな」と言う。
航は比較音声の匿名化を解除し、五番の欄に八代瀬誠と表示させた。報告書へ署名し、再生ボタンを押したまま提出箱を閉じた。