名前を呼ぶ場所
景虎は崖から身を投げた。
空中で魔獣の爪が背を裂き、視界が暗転する。次に目を開けたとき、彼は仲間の円陣の中央へ戻っていた。
【死亡時、あなたの名前が最後に呼ばれた場所で復活します】
【復活地点 座標E-441】
【呼称 カゲトラ】
十二歳で作った名前を、景虎は本名より長く使っていた。仲間も敵もNPCも、彼を《カゲトラ》と呼ぶ。現実の家族が呼ぶ声は、接続障害の雑音として消された。死ぬたび頼もしい仲間の輪へ戻れる一方で、その輪がゲーム内へ彼を縛る復活地点でもあった。
「成功だ! カゲトラが囮になった!」
仲間たちは崖上の門を突破していた。死んでも名前を呼ばれた場所へ戻れる。その仕様を利用した攻略だった。
けれど景虎は、何度死んでもこの世界から出られない理由も同じだと気づいた。皆が呼ぶ《カゲトラ》はアバター名で、復活地点はいつもゲーム内になる。
最終門の向こうに、ログアウト装置があった。装置は壊れ、中央の穴から現実の病室が一瞬だけ見える。ベッドに眠る自分。傍らで妹が手を握っていた。机には、景虎が接続した日のまま止まった腕時計と、誕生日に渡せなかった包みがある。世界の外では時間が続き、家族はアバター名を知らないまま、本当の名前だけを呼び続けていた。
音はほとんど届かない。それでも唇が動く。
『湊、帰ってきて』
本名だった。
門を守る魔獣が突進する。仲間がいつものように叫んだ。
「カゲトラ、右へ!」
「その名前を呼ぶな!」
景虎――湊は武器を捨て、病室の映像へ耳を澄ませた。妹がもう一度、泣きながら名を呼ぶ。
『湊』
魔獣の牙が胸を貫いた。
暗転のあと、石床の冷たさはなかった。重いまぶたを開けると、白い天井と消毒液の匂いがある。妹の手が、本物の温度で指を握っていた。
視界の隅に、最後の半透明な表示が浮かぶ。
【復活地点を更新しました】
【最終呼称 湊】
【座標 現実世界・病室】
【隠しクエスト《帰る名前》達成――アバターではなく、あなたを待つ場所へ復活します】