名無しの神に名札を
「名のない物に名前を付けるだけ? 子どもの遊びだ。無能とする」
大聖堂の祝福審査で、教皇ラメクはユラドの額から聖印を拭った。
《スキル:命名――名を持たない一つの対象へ、一日一度だけ名を与える》
強くも従順にもならない。ただ呼び名が生まれるだけ。ユラドは聖堂の名札を書く雑役へ回された。
巡礼者の杖、迷子の靴、持ち主の分からない遺骨。ユラドが名を記すと、それらは台帳のどこかへ居場所を得た。名前は力を足さない。けれど規則や約束は、呼ぶ相手がいなければ働けない。彼は毎日、名札一枚が物を法の内側へ連れ戻す場面を見ていた。
日没、祭壇の下から黒い泥が湧いた。
剣で切っても祈りを唱えても、泥は形を変えるだけ。鑑定には《名称:なし》としか出ず、聖法は対象を指定できない。名を呼んで裁く神術にとって、名無しのものは存在しないのと同じだった。
泥は信徒の影を飲み、飲んだ顔を表面へ浮かべていく。
ラメクが最高位の聖槍を放つ。しかし「汝」と呼ばれた相手は誰でもないため、光は泥をすり抜けて柱を砕いた。
「大聖堂を封鎖せよ。中の者ごと焼く!」
教皇の決断に、ユラドは名札用の木片を握ったまま祭壇へ上がった。
「名がないなら、付けられます」
「呼び名を得たところで強さは変わらぬ」
「強さを変える必要はありません。法の内側へ入れればいい」
泥が足首を包む。
ユラドは、そこへ幼いころ泥遊びで使った一番ありふれた名を与えた。
「お前は今日から――クロ」
黒い泥の上に、白い文字が浮かんだ。
《名称:クロ》
その瞬間、大聖堂の鐘がひとりでに鳴る。
古い誓約が発動した。――名を持ちて聖域を侵すもの、鐘の前に膝を折れ。
泥の全身が床へ叩きつけられた。今まで対象を得られなかった聖法が、一斉に“クロ”へ鎖を巻く。黒い塊は木片ほどに縮み、名札の下で動かなくなった。
ラメクはユラドの額へ、自分の指で新しい聖印を描いた。
「名を付けただけではない。神の外にいた災厄を、法の下へ連れてきた。ユラドを異端審問官筆頭に任ずる」