吸入器を買えない弟
江見翔真は駅前薬局で栄養剤を買うたび、棚のカメラへ顔を向ける。信用点数八四二。七百点以上なら、処方薬も緊急薬も自動販売される。
弟の侑世が店内で喘息発作を起こした夜、同じ棚が開かなかった。
《江見侑世:六九九》
《緊急吸入薬の購入資格がありません》
侑世は床に膝をつき、喉を鳴らしている。学校を休んだ日数が規定を超え、今朝一ポイント下がったばかりだった。休んだ理由は、喘息だった。
「俺が買う。処方履歴も家族登録もある」
翔真が顔を映すと、棚は彼の薬歴を検索した。
《購入者に適応症がありません》
「使うのは弟だ。金は俺が払う」
《利用者本人の信用点数が基準未達です》
透明な扉の向こうに、吸入器が十本並んでいる。値段は二千四百円。翔真の口座には十分あった。
薬剤師は奥の窓口から出てきたが、扉を開ける権限はなかった。
「救急要請をしてください」
翔真は端末を取った。だが侑世が袖をつかむ。
「救急車、前も呼んだ。迷惑点、また下がる」
話すたびに呼吸が浅くなる。
翔真は展示用の吸入器をケースごと引いた。警報が鳴り、ケースは棚へ固定されたまま動かない。
《商品への不正接触を確認》
《江見翔真:八二七》
自分の点数が落ちても、弟へは一ポイントも移らない。
侑世の学校アプリに、欠席理由の入力画面が出ている。翔真は弟の指を借りて、《体調不良》を押した。
すぐ通知が返った。
《継続的な登校困難を確認》
《江見侑世:六九七》
「押さなきゃよかった」
翔真が呟くと、侑世は小さく首を振った。
店内放送は、信用点数七百以上の客へ季節性アレルギー薬を勧めている。健康な客が一人、吸入薬の棚の前を通り過ぎた。カメラが緑に光る。
翔真はその客へ頼んだ。
「買ってください。弟に使わせたい」
客は侑世の数字を見て、目を逸らした。低信用者への薬の譲渡が、自分の点数へどう響くか分からないからだ。
侑世の呼吸音が止まった。
薬剤師が脈を確認する。本人の顔をもう一度棚へ向けたが、目は閉じていた。
《生体応答を確認できません》
《決済を中止します》
透明な扉の向こうで、十本の吸入器は一本も減らなかった。