味噌の焦げる匂い
鶴見和臣は、弟へ毎月八万円を送っていることを恋人に隠していた。
弟が仕事を辞め、「次が決まるまで」と頼んできたのは十か月前だった。和臣は共同口座へ入れるはずの金を減らし、残業代で穴を埋めた。恋人に見つかったときも、「家族を見捨てろってことか」と先に怒った。
彼女は翌日、同棲していた部屋を出た。
共同口座の履歴を見せられたとき、和臣は弟の事情を説明する前に、恋人が勝手に口座を調べたことを責めた。彼女は笑いも怒りもせず、「私のお金でもあるから」と答えた。その静かな声が、今も一番痛かった。
「あなたの家族の緊急事態は、いつも私たちの生活より先に来る。しかも私は最後に知らされる」
和臣は「野火」のカウンターで、客一人の夜を過ごした。黒ビールを一杯頼むと、店主は味噌漬け豚を炙った。脂が網へ落ちて短く燃え、肉の表面で味噌がじりじり泡立つ。甘い焦げの匂いに、にんにくと酒粕の香りが混じった。
弟からは今月分を催促するメッセージが来ている。失恋したと告げれば、弟はきっと「俺のせいなら、もういい」と言うだろう。その一言に甘えて、期限も方法も決めないまま翌月も送る自分まで、和臣には見えていた。
和臣は振込画面を開いたまま、彼女へ「弟を見捨てられなかった」と送ろうとしていた。自分を優しい兄に置けば、嘘をついたことが少し薄まる気がした。
店主が黒くなった端を切らず、そのまま皿へ載せた。
「焦げてますけど」
「そこも食える」
和臣は弟への自動送金を停止した。明日、今月末までの家賃だけは払うこと、その後は送らないこと、必要なら就労相談へ一緒に行くことを電話で話す。共同口座へ戻す金額も計算する。彼女へ見せるためではない。戻ってきてくれたとしても、また秘密で誰かを支えれば同じになる。
謝罪の連絡は、金額と期限を決めてから一度だけ送る。返事を迫らない。部屋の契約をどちらが引き継ぐかも、まだ話さなければならない。
焦げた端を噛むと、最初は苦く、すぐ後ろから味噌の甘さと豚の熱い脂が追いついた。黒いところだけを避けるより、味がはっきりした。