壁時計の影
横地綾人は、壁時計を見ず、その影を見ていた。
内海史帆警部補が自白映像を再生する。横地は午後七時三十二分、傷害致死を認めたことになっている。録画の時計も七時三十二分を示し、取調べ終了は規定内だった。
「この供述は、あなたのものですね」
「声は俺。でも、時刻は嘘だ」
「時計も記録も一致している」
「時計は止められる。影は止められない」
横地が示したのは、映像の壁時計の左側に伸びる細い影だった。この取調室は午後十時になると省電力運転へ切り替わり、東側の蛍光灯が消える。西側の灯りだけになれば、時計の影は左へ長く伸びる。七時台なら両側から照らされ、ほとんど影は出ない。
「自白したのは、何時ですか」
「午前一時すぎ。帰してくれと言ったら、神代課長が時計を七時半に戻した」
「なぜ従った」
「眠らせない、家族も連れてくると言われた」
イヤホンから神代の声が飛んだ。
『設備の話で煙に巻かれるな。映像の本人確認だけ取れ』
史帆は施設管理ログを開いた。事件当日も、午後十時ちょうどに東側照明が自動消灯している。復旧操作は翌朝六時。映像の影が示すのは、その間だ。
「影は加工できる」と史帆は言った。
「できる。だから、時計の秒針を見ろ」
映像では秒針が十一秒進むたび、わずかに戻る。故障して交換された古い時計の癖だった。交換記録は、事件翌日の午前四時。つまり映像はそれ以前で、しかも省電力時間帯に撮られている。横地の説明と合う。史帆が過去の映像を検索すると、神代が担当した別の二件にも、午後八時台の表示と長い左影が同居していた。今回だけの違反ではなく、夜を夕方へ戻すやり方が定着している。
神代が取調室へ入ってきた。
「終了だ。被疑者を留置へ戻せ」
「録画時刻の照会が終わっていません」
「そんな影で、捜査を壊すのか」
史帆は映像を一時停止した。止まった横地の顔の横で、壁時計の影だけが長く伸びている。
彼女はその静止画、照明ログ、時計交換記録を一枚の検証票にまとめた。神代が端末を閉じようと手を伸ばす。
史帆はその手より先に、検証票へ保全済みの印を押した。