壁際の青い泡

矢島のベッドを壁際へ寄せると、隣室の水音がよく聞こえた。

 細かな泡が途切れず上がるような音。低いモーター音に、水が戻るさらさらした音が重なる。隣には水槽があるのだろう、と引っ越した初日に気づいた。

 魚を見たことはない。

 廊下で会った住人は無口な女性で、買い物袋から水草らしい緑がのぞいていた。矢島はそれ以上知らない。それでも夜になると、壁の向こうの濾過器が一定の速さで回り、見えない水槽の中に小さな世界があると分かった。

 矢島の部屋には、段ボールと観葉植物が一鉢あった。

 転勤でこの町へ来て三週間。会社と部屋を往復し、休日は地図アプリで店を眺めるだけで終わった。ポトスの葉は窓側へ傾き、土は乾いていた。水をやる日まで後回しにしていたわけではない。ただ、自分の物をこの部屋へ根づかせるのが怖かった。

 今夜は強い雨で、窓の外の室外機が濡れた音を立てている。照明を落とすと、水槽のモーターだけが壁の中で青く光るように感じられた。

 ポトスの一番古い葉には、薄く埃が積もっていた。矢島はティッシュで拭こうとして、また明日でいいと手を引いた。水をやらず、箱も開けずにいれば、いつでもここを去れると思っていた。けれど去りやすさは、眠りやすさとは違った。

 突然、その音が止まった。

 静けさが広がり、矢島は起き上がった。しばらくして、向こうで蓋を開ける音、水を注ぐ音、ガラスを指で軽く叩く音がした。濾過器の手入れをしているらしい。

 誰かが見えない魚のために、午前一時に水を替えている。

 やがてモーターが再び回り始めた。最初は空気を噛む不規則な音で、少しずついつもの一定の流れへ戻った。

 矢島は台所でコップへ水を汲み、ポトスの土へゆっくり注いだ。受け皿へ水が一滴落ちる。鉢を半回転させ、傾いた葉を部屋側へ向けた。

 転勤がいつまで続くかも、この町を好きになれるかも分からない。けれど今夜の水は、今夜の根へ届けばいい。

 ベッドへ戻ると、壁際の青い泡は変わらず続いていた。魚は見えないままでも、矢島は部屋の暗さを少しだけ狭く感じた。