大鍋を浅く分けた夜
収穫祭前夜、町の名物シチューが百人分腐った。
毎年、大鍋のまま蓋をして朝まで置く。表面は冷えていても中心は生ぬるく、翌朝には酸っぱい泡が浮く。今年は千人分。失敗すれば料理組合長ベルガが追放され、手伝いの千紗もまとめて責任を負わされる。
「冷却魔石を買えない貧乏町に祭は無理だ」
王都の料理商が嘲った。
千紗が使った現代知識は一つ。熱い料理を浅い容器へ小分けし、短時間で冷ますことだった。
彼女は大鍋十基をそのまま置かず、シチューを深さ指二本ほどの平鍋五十枚へ移した。広い水槽へ並べ、底へ冷たい井戸水を流す。味も材料も変えない。熱が逃げる面積だけを増やした。
湯気で曇っていた厨房の窓が、平鍋を並べるほど早く晴れていく。千紗は各鍋へ札を差し、移した時刻だけを書いた。誰でも、冷えた順に洞へ運べた。大鍋の番を一人が朝まで続ける必要もなくなった。徹夜役だった少年は、祭の前夜に初めて家へ帰れた。
組合長は青ざめた。
「皿を五十枚も洗うのか」
千紗は砂時計を返した。従来の大鍋は三時間後も中心が五十度近い。平鍋は一時間で湯気が消え、二時間後には冷蔵洞へ運べる温度になった。作業は皿洗いを含めても、例年より一刻早く終わった。
翌朝、比較のため残した従来鍋の蓋を開けると、酸臭が鼻を刺した。平鍋のシチューは香草と肉の香りのまま。表面に泡はなく、一口目の甘みも変わらない。
祭で千二百杯が売れた。夜まで腹痛の届けはゼロ。廃棄量は前年の百八十杯から、鍋底に残った七杯だけ。売上は銀貨九百枚を超えた。
王都商は「たまたま寒い夜だった」と言った。千紗は水槽の記録板を見せる。外気は前年より三度高い。それでも冷却時間は六時間から二時間へ縮んでいた。
ベルガは組合印を握りしめ、町長へ差し出した。
「この印は、もう私より彼女が持つべきです」
町長は千紗の前へ、来年の王都祭一万杯分の注文書を広げた。
「料理組合長として受けてくれ。条件は一つ、すべて浅く分けること」
五十枚の平鍋が朝日を反し、銀貨より眩しく光った。