失踪者は無事です
三潴黎は毎朝、家族アプリを開く。母の血圧、弟の位置、家の電気使用量。三人の横に緑の本人印が並ぶと、それだけで一日を始められた。
弟の楡が消えて十四日目、緑印が戻った。
動画の楡は海辺に立ち、照れたように頭をかいた。
『心配かけてごめん。自分の意思で遠くへ来た。捜さないで』
警察から同時に通知が届く。
《本人の安全宣言を確認したため、失踪届を終了します》
規則は一つ。真正と判定された失踪者本人が安全を宣言した場合、その後三十日間の捜索要請は受け付けない。家族が成人の自由を奪うのを防ぐためだ。
母は動画を何度も再生し、泣きながら笑った。黎だけが違和感を覚えた。楡は海が嫌いだ。幼い頃に溺れて以来、波音だけで吐く。
その夜、非通知の映像通話が来た。
暗闇に、腫れた顔が浮かぶ。片目しか開いていない。
『兄貴、切らないで』
声は楡だった。画面には赤い警告が重なる。
《失踪者を模した生成映像です》
「どこにいる」
『分からない。機械の音がする。あいつら、俺の動画を――』
黎は母を呼んだ。母は画面を見て、口を押さえた。
「楡?」
『母さん、冷蔵庫の上。黄色い箱の中』
母が走る。箱には、楡が中学のときに割った窓の請求書が隠してあった。家族しか知らない。
それでも判定は赤のままだった。
『兄貴、今の映像を警察に送って』
黎が送信を押すと、アプリが確認する。
《安全宣言済みの本人に対する虚偽通報となります。送信者の身元停止に同意しますか》
同意すれば、黎も銀行も通信も使えなくなる。迷った一秒の間に、弟の背後で扉が開いた。
『早く!』
黎は同意を押した。
画面が暗転した。
《偽映像との通信を遮断しました。失踪者は無事です》
家族一覧から黎の緑印が消えた。代わりに、海辺で笑う楡だけが「安全」と表示され続けた。
母は翌朝も海辺の動画へ「おはよう」と話しかけた。動画の楡は毎回同じ角度で笑った。黎の端末には通信停止処分だけが残り、地下からの着信番号は存在しない番号になっていた。