字幕が先に消える
失踪した歌い手の映像では、歌う前に字幕が消えた。
動画編集者の朱鷺坂七緒は、プレミア公開の進行バーを見た。Aメロの一行目が表示されるはずの三秒前、左端から文字が黒く塗り潰される。元データにはない処理だった。
消える直前に読めた言葉は、
「先に行って」
歌い手の花嵐コトは、七緒の姉だった。二か月前、地方収録から帰る夜に消息を絶った。同行したマネージャーは、サービスエリアで別れたと証言した。姉から七緒へ届いた最後の音声にも同じ言葉が入っていたため、警察は自発的な離脱の可能性を考えた。七緒も、姉が自分にさえ仕事の重荷を話さず逃げたのだと、どこかで恨んでいた。
「先に行って」
イントロの道路ノイズが、Aメロで規則的なクリックへ変わる。字幕が消える位置と重ねると、黒塗りの長さが高速道路の距離を示していた。七緒は編集卓で地図を開く。サービスエリアではない。山道の旧料金所から、廃業した録音施設へ線が続く。
サビで、消えた字幕の下から別の文字が浮かんだ。
〈妹を車から降ろして〉
〈私が残る〉
七緒の記憶が反転する。失踪当夜、彼女も姉の車に乗っていた。後部座席で眠らされ、途中の駅前へ置かれた。目覚めたとき、スマートフォンには姉の短い音声だけが残っていた。七緒は「仕事があるから自分だけ先に帰れ」という意味だと思っていた。
映像の最後、マネージャーの声が入る。契約違反の証拠を消せ、妹まで巻き込みたくなければ同行しろ。姉は七緒を先に逃がすため、自分から車へ戻ったのだ。
プレミア会場にいたマネージャーが回線を切ろうとする。だが字幕の消去は、視聴端末へ位置情報を分散保存する処理でもあった。視聴者が画面を撮影するたび、地図の断片が完成していく。
最後の一音と同時に、警察から通知が届く。
〈旧録音施設で本人を保護〉
七緒は画面に残った三度目の文字を見る。
「先に行って」
姉が自分を置き去りにした言葉ではない。危険の中へ一人で戻り、妹だけを未来へ先に行かせるための命令だった。