孤独治療をやめた朝
波々伯部映司は、孤独を治療してから誰にも電話をかけなくなった。
妻を亡くし、娘と疎遠になった七十九歳の冬、地域AIが孤独指数の高さを警告した。処方された錠剤を飲むと、空いた食卓は静かなだけの場所になった。一人分の鍋も、一人で見る花火も、十分に満ち足りて感じられた。
娘の連絡先は残っていた。十年前、再婚を反対した映司に「もう家族の許可を求めない」と言って出ていった。薬を飲む前は、毎晩番号を開いては閉じていた。飲み始めてからは、その迷いさえ消えた。
医師は治療成功と評価した。睡眠は改善し、食事量も戻った。映司は老人会を断り、近所づきあいも減らした。会わなくても寂しくないなら、迷惑をかける理由はないと思った。
向かいの部屋には、同じ薬を飲む小田という老人がいた。挨拶をしても、互いに立ち止まらない。ある夏、廊下に異臭がして、小田が室内で亡くなっているのが見つかった。死後十二日だった。
管理AIは異常を検知していたが、小田本人が「孤独感なし」「支援不要」と回答し続けたため、訪問優先度が下がっていた。
映司は葬儀に出た。参列者は管理人と彼だけだった。薬のおかげで悲しくはなかった。だが、悲しくない自分が、小田の部屋を十二日間閉ざした扉の一部に思えた。
翌朝、映司は錠剤を飲まなかった。
昼には家の広さが耐えがたくなった。妻の湯飲みを見て泣き、娘の幼い写真を見て胸が痛んだ。夜になると、誰かの声を聞きたくて壁を叩きそうになった。
映司は娘へ電話した。呼び出し音が長く続き、切ろうとしたとき、低い声が出た。
「何」
「寂しくなった」
「今さら?」
「薬をやめたら、今さらが全部戻ってきた」
娘は笑わなかった。許しもしなかった。ただ、翌週なら三十分会えると言った。
再会はぎこちなかった。娘の隣には、映司が反対した相手と、その人との息子がいた。映司は謝り、反論され、食事の途中で帰りたくなった。それでも帰らなかった。
孤独治療は完全にはやめていない。眠れない夜だけ半錠飲む。残りの夜は、寂しさに押されて誰かへ連絡する。
映司は団地で朝の見回りを始めた。大げさな安否確認ではなく、各戸の前で名前を呼び、返事があれば世間話を一つする。
孤独は病気になることがある。けれど映司にとっては、扉の外に人がいると知らせる痛みでもあった。