定期便の宛名
史織の誕生日の朝、コーヒー豆が二袋届いた。
毎月第二土曜に届く定期便で、袋には焙煎日と小さな山の絵が印刷されている。史織は濃い深煎りが好きだったが、治療が始まってから匂いだけで気分が悪くなり、半年以上飲んでいない。それでも解約しなかったのは、同居人の茅が毎朝淹れるからだった。
宅配箱を開けながら、茅が言った。
「これ、今日で止めようか」
「止めない」
「二袋も飲みきれないよ」
「あなたなら飲む」
「私はスーパーのでいい」
史織はノートパソコンを開いた。誕生日にやることとしては地味すぎるが、今日中に定期便の宛名を変えると決めていた。
届いた袋の一つを茅が開ける。豆が転がる乾いた音と、焦げた甘い匂いが部屋に広がった。史織は少し顔を背けたが、窓は開けさせなかった。この匂いが家から消える必要まではない。
会員ページのログイン番号を三度間違える。パスワードは、二人で最初に住んだ部屋の番地だった。入力し直すと、画面の右上に「史織さま」と表示された。
配送先変更を押す。
氏名、郵便番号、住所、電話番号。住所は同じなので、名前だけを茅へ変えればいい。漢字の変換候補に別の「かや」が並び、史織はいつも使う一文字を選んだ。荷物を受け取るたび自分の名前を消す作業ではない。ただ、次から正しい人に届くようにするだけだ。けれど支払い名義、贈答設定、好みの焙煎度まで、確認項目が次々現れた。
「面倒だね」
茅が後ろから画面をのぞく。
「今まで私が面倒を背負ってたってこと」
「自動で来てただけでしょ」
「最初に選んだ」
深煎り、挽かずに豆のまま、二袋。史織は数量を一袋へ減らした。茅は酸味のある浅煎りが好きだが、変更しなかった。好みまで譲り渡すのは違う気がした。茅が次に自分で選べばいい。
備考欄に「玄関前へ」とだけ残す。誕生日の言葉も、説明も書かない。
画面のいちばん下に、赤い「解約」と青い「変更を保存」が並んでいる。茅の指が一瞬、赤いほうを指したが、史織は首を振った。
氏名欄に「茅」と入っていることをもう一度確かめる。史織は青いボタンを押した。