家族予定の二重線
午前九時五十分。動物病院の待合室で、多賀谷颯久と尾形葉月は茶色い猫の移送手続きをしていた。迎えの車が来るまで十分。二人で保護した猫は、今日から葉月の新しい町で暮らす。
五年前、雨の駐車場で拾った。颯久の部屋は一階、葉月の部屋は二階。夜勤の日は合鍵で互いの部屋へ入り、餌をやった。首輪の裏には二人の電話番号が並び、どちらが一番かで揉めないよう、登録上は颯久が第一、葉月が第二の緊急連絡先になった。猫がどちらの布団で眠ったかを毎朝報告し、二晩続けて同じ部屋を選ぶと、選ばれなかったほうが餌代を払った。
「新しい部屋、二人と一匹でも広いんだろ」と颯久が言った。
「二人?」
「一緒に住む人がいるって」
「姉だよ。離婚して戻ってくるから」
胸の奥が軽くなったのを隠し、颯久は譲渡書へ署名した。
「じゃあ、いい相手も向こうで探せるな」
「そうだね。ここでは見つからなかったし」
葉月の声は平らだった。獣医師がマイクロチップ情報を更新する。画面から颯久の番号が消え、葉月だけになる。
午前九時五十七分。迎えの車が着いた。葉月はキャリーケースを持ち上げる。
「合鍵、郵便受けに入れておいた」
「猫がいないなら使わないからな」
「猫のためだけだったんだ」
そう言って、葉月は外へ出た。
受付が古い登録用紙の控えを颯久へ返した。五年前、関係欄の〈友人〉には二重線が引かれ、その上に葉月の字で〈家族予定〉と書かれている。職員の赤字で〈法的関係がないため不可〉。その横へ、颯久が何も知らず〈友人でお願いします〉と署名していた。
葉月は最初から、猫を理由に同じ家へ帰る未来を書こうとしていた。颯久は手続き上の誤りだと思い、友人へ戻していた。
窓の外で、葉月がキャリー越しに猫へ何か話している。追えば車には間に合う。けれど移住の理由も仕事も、今日まで積み上げた決心も、十分ではほどけない。
颯久は古い登録用紙を折り、スマートフォンの緊急連絡先から葉月の番号を削除した。